2008年4月30日水曜日

ラ・フォル・ジュルネ

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 「熱狂の日」音楽祭2008 
(東京国際フォーラムと丸の内・周辺エリア)

そして ラ・フォル・ジュルネ金沢   「熱狂の日」音楽祭2008

が開幕した。
ゴールデンウィークをどっぷり音楽に浸りたい人にはもってこいの音楽祭だと思う。
また、これに足を運んでクラシックが好きになる人が多くなれば、それもよし。

東京は「シューベルトとウィーン」がテーマ、金沢は「ベートーヴェン」だ。
日本では2005年に始まったこの音楽祭、昨年までは東京だけだったが、今年は金沢でも開催されることになった。
少しばかり関連の文を読んでいると、「ラ・フォル・ジュルネ」は質の高い音楽が格安の値段で聴けること最大の特徴らしい。
ゴールデンウィークが開催期間らしいから、行こうと思えば行ける。いつか行ってみたいと思っている。

ところでシューベルトのことだが、交響曲シリーズを始めて第2番で止まったままになっている。第3番が書きかけで、そのままになっている。面白くないかというとそうではない、実に魅力あふれる音楽なのだ。なんとか書きあげよう・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

音楽ブログランキングへ
            にほんブログ村 クラシックブログへ

2008年4月29日火曜日

練習日和

今朝は、晴れて気持のいい天気です。

練習は室内で、天気には関係ないといいつつ、やっぱり晴れるといいですね!

朝からやる気満々です!!

2008年4月28日月曜日

ショスタコーヴィッチ/交響曲第5番

昨日(4月27日)は、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチの命日。亡くなって1年になる。
彼のCDから1枚(追悼の念を込めて昨年購入したもの)

ショスタコーヴィッチ/交響曲第5番
ロストロポーヴィッチの指揮、ワシントン・ナショナル響の演奏

マイCDでは、ショスタコーヴィッチはこれ1曲のみ。同じロシアでもプロコフィエフが交響曲に始まり、ますます広がろうとしているのに、お寒いかぎりである。
高校か大学の時にSさんに「ショスタコーヴィッチは神経質な感じがする」と言われたことが、固定観念となって、ずっと敬遠していたのかもしれない。今はいろんなブログで書かれているのを見て、少しずつイメージがよくなりつつある。

さて交響曲第5番だが、ロストロポーヴィッチの演奏を聴いて小澤征爾が、これを聴いたら自分は演奏できない、と言っているのをどこかで読んだことがある。CDの録音は1982年となっているが、その前後に聴いたのかもしれない。(ちなみに2006年のサイトーキネンフェスティバルで5番を演奏している。それまでにどこかで演奏したかどうかは不明)

他の演奏を知らず比較するものを持っていないが、聴いていて感じるのは、凄い迫力があること。ロストロポーヴィッチのには、伝えずにはおれない何かがあって、それがこちらに迫ってくる、時には蹴倒されそうになるほどに。

3楽章は美しい音楽、どことなくマーラーに通じるものがあるような気がした。
4楽章は吹奏楽編曲版がある。演奏された方もおられるかもしれない。

音楽ブログランキングへ
            にほんブログ村 クラシックブログへ

2008年4月26日土曜日

GW

我が吹奏楽団のゴールデンウィークの予定は

29日午後から夜10時まで練習

4日はSまつりで演奏。

Sまつりは以前よく行っていました。もう5年以上は行っていません。野外なので雨が降りませんように!楽器は雨に弱いんです。

指揮棒はぬれても平気です。いざとなれば棒なしで振りますから。ただスコアがぬれたら大変です。紙がべこべこになってにっちもさっちもいかなくなりますから。

2008年4月24日木曜日

マゼランの未知なる大陸への挑戦

「マゼランの未知なる大陸への挑戦 」は樽屋雅徳(1978~)さんの作品。

先日の「パイレーツ・オブ・カリビアン」を書いた後、ぜひこの素晴らしい吹奏楽曲を紹介しようと思い、今日の記事を書きます。

1400年代から1500年代にかけては、ポルトガルとスペインを中心に、未知の航路を開拓する「大航海時代」で、探検家にとっては「夢と冒険の時代」でもあった。
その時代に活躍した一人が、フェルディナンド・マゼラン(1480頃~1521)。
彼は1519年に西回り世界一周航路発見の旅に出る。ところが途中で死んだため、夢を果たせなかったが、残りのメンバーによって世界一周が達成された。

この「マゼランの未知なる大陸への挑戦」は、そんな、航海の途中で死んだマゼランの魂が、そのまま世界一周航海を成し遂げ、さらに地球上を巡る…という想定で作曲された。いわば「マゼランの死」以後を描いた曲といえるだろう。

曲はモルダウ風に始まり、何かが起こりそうな予感を感じさせるメロディがくる。さらなる航海に出て、未知なる世界への尽きない興味や、ワクワク感が踊りだそうといている。
これから航海に出ようする船内の活気かもしれない。

とするうちに「パイレーツ?」と思わせる部分が現れる。それぞれ作曲者は国が違い、題材がマゼランと海賊で違いがあるが、海が舞台で時代背景に近いものがあれば、同じようなイマジネーションが与えられるのかもしれない。

そして緩急や曲想を変えつつ曲が進んでいく。この変化に唐突感や不自然さがない。自然でしかもぴったり「はまっている」感じだ。静かなところ、美しいメロディ、広がりのあるメロディで壮大に盛り上がるところなど。その中で僕のお気に入りは、アイリッシュダンス風のところ!

この曲は去年あたり大ブレークしたらしい。中学や高校で取り上げてところが結構あると聞く。
曲を聞けばそりゃそうだろうと納得する。そういう曲である。

音楽ブログランキングへ
             にほんブログ村 クラシックブログ 吹奏楽へ

2008年4月23日水曜日

若手登用

NHK教育で火曜日夜10時25分から、ここ4週ほど天野祐吉さんがカラヤンをテーマに語る番組があった。

昨夜の1コマ、かなり古い映像の中でカラヤンが「シュヴァルツコップやルートヴィヒなどの若手を登用し~」と言っていた。

そうか、エリーザベト・シュヴァルツコップ(1915~2006)やクリスタ・ルートヴィヒ(1928~)は若手か!と驚いてしまった。
僕がこの2人の歌手の名前を知った時、シュヴァルツコップは引退していたかもしれない。ルートヴィヒはキャリアの後半に入っていたと思う。僕のイメージでは全く若手歌手ではない。
このTV映像を勝手に1950年代として年齢計算すると、なるほど若手になる。また、カラヤンより年下でもある。

1つの固定したイメージで見てしまっていたわけです。

音楽ブログランキングへ
           にほんブログ村 クラシックブログへ

2008年4月22日火曜日

明晰

フランス語は明晰である、と言われている。

じゃあ、フランス音楽は明晰だろうか?

言語における「明晰」と音楽における「明晰」は、同じ定義ができるのだろうか?

明晰な音楽ってあるんだろうか?
あるとしたらどんな音楽?
どの作曲家のどの作品なのか?
またどんな演奏をいうのか?

すみません。ふと思いついたことを書きました。

2008年4月21日月曜日

ようやく

昨日と今日は、晴れて気持ちよく、気温も春らしいいものになりました。

ようやく春が来たなと感じています。

2008年4月20日日曜日

パイレーツ・オブ・カリビアン

昨夜TVで「パイレーツ・オブ・カリビアン 呪われた海賊たち」をしていたようです。僕は見ていません。

パイレーツ全3作は、映画もいいけど、サントラがすごくいいです!
あの迫力あるサウンドはたまりません。

吹奏楽にも多く編曲されています。「呪われた海賊たち」「デッドマンズ・チェスト」「ワールド・エンド」のそれぞれが編曲されています。我が吹奏楽団も前2作を演奏しました。
映画のサントラで吹奏楽向きのものをそうでないものとありますが、パイレーツは吹奏楽に最高にマッチしていると思います。
奏者(特に金管楽器)の満足度は高いものがあります。カッコいいし、吹いていて気持ちいいようです。
木管を中心にした美しいところも申し分ありません。指揮者としてもやりがいのある曲ですし、振っていて楽しい曲です。

昨年のジューンコンサートで「デッドマンズ・チェスト」を演奏しましたが、少し遠くの方から、わざわざこの曲を聞くために来た人がいるぐらいです。
そのパイレーツですが、高校OBの演奏で取り上げるかもしれません、ボツになるかもしれません。計画段階です。

音楽ブログランキングへ
            にほんブログ村 クラシックブログ 吹奏楽へ

2008年4月18日金曜日

ザナドゥ

オリヴィア・ニュートン・ジョンの「ザナドゥ」XANADU

大好きな曲です。

同名の映画がありますが見たことがありません。
映画の主題歌である「ザナドゥ」は、最近CMで流れています。softbankの携帯電話を持って、キャメロン・ディアスが楽しそうに話しているCMです。

夜TVを見る時、CMは何とはなしに見ていますが、「ザナドゥ」が聞こえてきた時は「おっ!」と思い、同時に懐かしくなりました。
オリヴィア・ニュートン・ジョンは好きでよく聞きました。今オリヴィアはどうしているのだろう・・・
いいおばさんになっているのだろうか?あのかわいらしさを失わずに現役歌手を続けているのだろうか?などと想像します。

さて「ザナドゥ」、彼女の曲の中で、間違いなくマイベスト3に入る曲です。

音楽ブログランキングへ

2008年4月17日木曜日

おっ、1番

プロコフィエフのバレエ音楽「ロミオとジュリエット」「シンデレラ」全曲盤が、輸入廉価盤であったので購入したことは先日書きました。
各2枚ずつでぼちぼち聞いていますが、同じCDを2,3回と聞くのでなかなか前に進みません。やっと昨日4枚目にたどり着きました。

紙のジャケットで裏面にCDのトラック番号と各場面のタイトルが英語で書いてあります。それを何も見ずに聞いていたところ、突然聞き覚えのある音楽が鳴りだしました。
一瞬「あれ?どっかで聞いたことがあるぞ?」
数秒後「交響曲第1番?!」

4枚目のCDは「シンデレラ」の後半が入っていて、まさか交響曲第1番がカプリングされているとは知りませんでした。ビックリというより嬉しい驚きでした。

アンドレ・プレヴィンの指揮によるロンドン交響楽団の演奏です。

今まで聞いた中で一番楽しい演奏です。指揮者もオーケストラもニコニコしながらやっているんじゃないだろうかと思える演奏です。
プロコフィエフの交響曲を聞き始めようとする人に、また第1番を初めて聞こうとする人に「何かお勧めCDはないですか」と聞かれた時に、迷わずプレヴィン盤を勧めます。(そしてプロコフィエフが好きになって下さいと心の中で念じます)

それほど気に入ってしまいました。

音楽ブログランキングへ
           にほんブログ村 クラシックブログへ

2008年4月16日水曜日

ヴェルディ/トロバトーレ

トロバトーレを聞いていて思い出したこと。
10代後半から20代中ごろまで、日曜日の午後3時からNHK-FMでやっていた「オペラアワー」を聞いている時の感覚が思い出されてきた。毎週聞いていたわけではない。たまに聞いていた程度だ。

その時に感覚というのは、日曜日の午後から夜にかけてのなんとも言えぬ暗く、やや塞いだ気分だ。明日から学校か(又は仕事か)という憂鬱なものがあったのかもしれない。また、何もすることがなく退屈で仕方ない、どよんとくもったような気分だったかもしれない。
そんな気分ばかりで、当時はオペラを聞いていたわけではないのだろう。
だけど、このヴェルディのオペラと夕方あたりがだんだん暗くなっていく様子と日曜午後の気分がセットで思い出されてきた。

ことわっておきますが、ヴェルディのオペラには、僕が知っているわずか数曲の中には暗く憂鬱な曲はない。悲劇的な部分はあるが、この2つは異質なものだ。

さて、ヴェルディのことだが、彼はは時代がかったものが得意のような気がする。(深く知らないから言える暴論です)
「アイーダ」だったり、この「トロバトーレ」だったり。またシェークスピア原作の「オテロ」「マクベス」だったりと。

この「トロバトーレ」は、運命のいたずらに翻弄された人間の復讐劇や、愛の三角関係を盛り込みながら劇が進行していくもので、音楽を聞いていても、それらの台本にマッチしているように感じる。
アリアや合唱がうまくちりばめられ、場面転換もはっきりしている。劇的で輝かしかしくスケールが大きい。聞く者をとりこにする音楽だと思った。

聞き覚えのある合唱がある。一般的に「鍛冶屋の合唱」といえば通じるのだろうか?
合唱はわかりやすいメロディで実に楽しい。
「トロバトーレ」は高級なエンターテイメントではないだろうかと、不謹慎ながら思ってしまった。

素朴な感想として、同じイタリア人でもヴェルディとプッチーニは体質が違う。作風が違うというよりも質的に違うような気がする。
ほとんど車の中でBGMとして聞いていました。音楽に対して失礼と思いつつ・・・

演奏はカラヤン/ベルリン・フィルほか(1977)

音楽ブログランキングへ
             にほんブログ村 クラシックブログへ

2008年4月15日火曜日

ブルックナー/交響曲第7番


20代の頃、レコード(その後CD)を買う時参考にしていたのが、レコード芸術などの雑誌に書いてある評論家の文であった。
昨年ブログを始めてからは、いろんな方のブログを参考にして買うことにしている。HMVなどのサイトでのプレヴュー(聞かれた方の感想)も参考になる。評論家の書いたことより、ブログやプレヴューの方が信頼できると思うからだ。
さて今日取り上げるCDでは、いくつかのブログで絶賛されたもの。


ブルックナー/交響曲第7番ホ長調

演奏:ブロムシュテット/ドレスデン・シュターツカペレ

僕はブルックナーが好きだ。といっても交響曲全曲を聞いたことがないし、しばらくご無沙汰状態が続いていて、ここ数年好んで聞くのは7番と8番ぐらいだった。
いろんなブログでブルックナーが取り上げられるたびに「聞きたいな」という思いが強くなって、上記CDを購入した。

聞いてみて、まさに絶賛に値するものだと実感。
すごくいい!極上の演奏である。

細かく書いてもいいが、語りつくされているところへ、蛇足になってしまうので簡単な感想のみ書く。
・ 歌が自然であること。間合いも息づかいも自然だ。
・ オーけストラの響きがとても美しい。
金管が吠えるという印象はない、節度のあるいい響きだ。
弦も当然いいが、ヴァイオリンがシルクのように美しい。

音楽ブログランキングへ
                にほんブログ村 クラシックブログへ

2008年4月14日月曜日

ドライヴとキャリー(2)

昨日は休む間のないハードな一日であった。
我が吹奏楽団の皆様、お疲れ様でした。

腕が少しばかり筋肉痛になっている。これは恥ずかしいこと。タクトを振る時に余分な力が入っている証拠だから。
もっと力を抜かないといけない。

ドライヴとキャリーについて
カラヤンの言わんとするところの「ドライヴ」「キャリー」が、どういうものであるかはさっぱりわからない。言葉の表面上の意味ではない、実際の練習の場や演奏会での演奏における指揮者としての感覚である。
だから、今自分が「ドライヴ」しているという感覚はない。「キャリー」はなおさらのことだ。
そういった感覚から遠いところでやっていると思う。

ひとつの理想が「キャリー」ならば、カラヤンの言わんとするところの1%でも実感としてわかりたいと思う。そしてその十分の一でも実現してみたいと思う。つまり0.1パーセントの達成でも満足だ。

音楽ブログランキング
                   にほんブログ村 クラシックブログへ

2008年4月12日土曜日

ドライヴとキャリー

岩城宏之さんがカラヤンに直接指導を受けたときに言われた言葉

ドライヴしてはいけない。オーケストラをキャリーしろ

これを岩城さんが「フィルハーモニーの風景」の中で述べている。
「カラヤンは指揮を乗馬にたとえたのだった。
馬に跨り手綱を引締め、どの瞬間も馬をコントロールし続け、自分の意思の通り馬を動かす。これをカラヤンは『ドライヴ』と言っている。
反対に手綱を緩め馬を自由にさせてやる。馬は乗り手の存在を忘れ、自分が行きたい方へ好きなスピードで進む。しかし本当は完全に乗り手に統御されている。指揮とはこうあるべきだとカラヤンは言ったわけである。」(P58~59)

前回のワルター・ヴェラーの言葉にぴったり当てはまりますね。奏者側の感覚と指揮者側の意図が見事に合致しています。

明日の朝は溝掃除と隣組(この言葉はわが町特有の言い方らしい)の寄り合い。午後からは夜10時まで練習。ハードな1日になる。
音楽ブログランキング      にほんブログ村 クラシックブログへ
       

2008年4月11日金曜日

催眠術師(2)

前回からの続きで、P83より

「一つの曲はさまざまな要素から成り立っています。作曲者が、ここいちばん強調したいところなんだ、という想いをこめて書いたクライマックス、その前後に配置された小さな“山”と“谷”、そして広がる“野原”、フルトヴェングラーがその著作の中で<緊張と弛緩>という表現で説明していることなんですが、カラヤンの音楽造りでは、そのメリハリが実に明快なんですね。
オーケストラが自分達の音楽を自由になっていい部分、そして『ここだ!』という乾坤一擲の頂点、そのあたりの心配りが、どんな音楽についても行き届いています。だから、リハーサルでも本番でも、無駄な神経を使う必要がない。演奏する側にとっては、とても大切なことです。」
(ルドルフ・シュトレング、ウィーン・フィル元首席ヴィオラ奏者)

「細々と指示されているわけではないから、私達はじぶんの音楽を気分良く弾いたつもりになっている。
ところが終わってみると、これが100パーセント“カラヤンの音楽”になっているんですね。催眠術師みたいな人です、彼は」
(ワルター・ヴェラー、ウィーン・フィル元コンサートマスター)

今日は無用なコメントをさしはさみません。

音楽ブログランキングへ
              にほんブログ村 クラシックブログへ

2008年4月10日木曜日

催眠術師

今日でブログを始めて9か月になります。
ここ1ヶ月ほど、ゆっくりPCの前に座って、ブログを書くことができませんでした。例年この時期にこんなことはないのですが、ばたばたと余裕なしの日々を送っています。まだしばらく続きそうな気配です。

ということで、ブログの更新も滞りがちです。
今日と次回で「催眠術師」というタイトルで、中野雄さんの「ウィーン・フィル 音の響きの響き」から引用します。(引用というのは楽なことで、ブログの文章をあーだこーだと考えずに、手抜きをするわけです。)

P82より
カラヤンという指揮者のどこがいいのかという問いに対して、ロベルト・シャイバイン(元主席チェロ奏者)は答えている。

「彼は私達に、『自分は、この曲を、こんなふうに演奏したいんだ』という大枠を示して、その中では楽員に自由に弾かせてくれる。プレイヤーの自発性を邪魔しない。彼と一緒だと、いつも伸び伸びと、気持ちよく演奏ができる。
でも、なにもかもオーケストラまかせというわけではない。『こういうテンポで、こういう響きで』という指揮者としての要求は明快です。われわれが戸惑うなどということは一切ない。しかも、ショルティのように、メロディの端々、曲の隅々に至るまで自分の思い通りにひかせようと強制したりしないから、終演後の気分も爽快です」

練習のやり方として、すごく参考になる言葉だと思います。この通りにはできませんが、わずかでもできればと思っています。

音楽ブログランキングへ

にほんブログ村 クラシックブログへ

2008年4月7日月曜日

邪魔しない(2)

昨日に続き、中野雄「ウィーン・フィル 音と響きの秘密」(文春新書)から

冒頭から(P3)
「『いままで聴いたウィーン・フィルの演奏のうち、どれが最高でしたか』と訊かれたら、迷うことなく『1978年8月26日の昼、ザルツブルクの祝祭小劇場で聴いたモーツァルト。ふたつのト短調です』と答えるだろう。」

この時の指揮者はレオポルド・ハーガー。決して一流といえない指揮者である。
演奏会後、ヴィルヘルム・ヒューブナー(第2ヴァイオリンの首席奏者)に会い、言われたこと。

「ハーガーの指揮ぶりを褒めたら、彼は破顔一笑
『褒めるならキュッヘルとウチのオーケストラを褒めてくださいよ。今日は完全にわれわれのペースでやれた音楽会だった
ハーガーは賢い男で、自分の分際を心得ているから、指揮棒を持ってはいたが、なにもしなかった
はじめから終わりまでオーケストラまかせ - ということ。コンサートマスターの若いキュッヘル(当時30歳前後)が頑張って、われわれが彼と一緒に自分たちの音楽造りをやった
それを君が感激したってわけです」

恐るべしウィーン・フィルである。
この事件と先日紹介したキュッヘルの言葉が、本書執筆を中野さんがするきっかけになったようだ。

音楽ブログランキングへ

2008年4月6日日曜日

邪魔しない

3月31日「日曜練習」のコメント欄に、ぱうえるさんと匿名さんが投稿して下さいました。そこから次の本で読んだことが思い出されましたので、数回にわたり引用したいと思います。

中野雄「ウィーン・フィル 音と響きの秘密」(文春新書)

(P4より)中野さんがライナー・キュッヘル(ウィーン・フィルのコンサートマスター)に質問しました。
「オーケストラにとって“良い指揮者”とはどういう指揮者を言うんでしょうか」

それに対し間髪を入れずに返ってきたのが次の言葉です。

「私たちの音楽を邪魔しない指揮者のことを言います」


いやはやすごい言葉です。
他もありますよ。それは次回に。

音楽ブログランキングへ
          

2008年4月4日金曜日

修羅場

「男はどれくらい修羅場をくぐってきたかよ」

以前勤めていた職場の上司(女性)の言葉である。

どんな会話の流れの中から出てきたかはすっかり忘れてしまっているが、この言葉だけは覚えている。そしてこの言葉を言った時の、声の調子と顔の表情もだいたい覚えている。

なぜこれをここに書いたかというと、河井継之助が表舞台に登場する前に修羅場をくぐってきた様子が見えないのだ。といっても司馬遼太郎の「峠」、「英雄児」しか読んでないのだけれども・・・

継之助が藩主の目にとまり、異例の抜擢をうけ、超スピートの出世で長岡藩(新潟県長岡市)の筆頭家老になる。(河井家本来の家格からいうとあり得ないほどの出世である)

役職に就いてからの仕事ぶりをみると、頭を抱えて困ってしまう場面、足の震えが止まらないような場面でも動じることがない。腹が据わっているのである。そして見事に切り抜けていく。

一般的にいうと、相当の役職につくまでに、様々な場面に直面し、うまく切り抜けることもあれば、立ち往生をし失敗もする。しかし、試練や困難を克服して、実力をつけ、人間を作り上げていく。
それが管理職的立場や組織のトップに立った時、それまでの経験が生かされるのであ。

歴史上名を残した人物は、大小様々な試練や困難、修羅場をくぐってきているわけだ。

そういった痕跡が司馬作品を読んだだけでは感じられないのだ。
河井継之助は30歳を過ぎても書生生活をしていて、一気に表舞台に出て、見事に活躍している。どんな状況でも、腹が据わっている。動じないのが凄い!
今でいうなら、30過ぎまで大学や大学院その他で勉強していた者が、いきなり大会社の課長に抜擢され、アッというまで社長までなり、世間がびっくりするような業績をあげるのである。

河井継之助の人生は僕の理解を超えているのだ。


さて、冒頭にあげた上司の言葉は
人生大小様々な試練がある。修羅場もある。
(僕のイメージでは、試練や困難より修羅場の方が困難度が高い。にっちもさっちもいかない、行くも地獄帰るも地獄という状態だ。解決策が全く見つからず崖っぷちにいる状態ともいえる。)

そこを逃げてはいけない。どうしようもない困難を克服し、突破しなければならない。
そうすることが男の価値を決める。また、その人間を作り上げると解釈している。

これを僕にあてはめると ・ ・ ・
アハハハハー ・ ・ ・ と誤魔化しておきましょう。

2008年4月2日水曜日

桂枝雀

先日、ビデオ屋に行ってCDの棚のところを見ていると、「桂枝雀落語全集」が置いてあった。
「ついに落語CDを置くようになったか!」内心ほくそ笑んだのである。
さっそく借りることにした。今回はDVD付きのCDをレンタル。
演目はCDの方が「宿替え」「宿屋仇」
DVDが「代書」「寝床」

久しぶりに枝雀の落語を見る。生で数回見たが、DVDは初めてだ。見ていると「枝雀寄席」とあったから、以前TVで放映されていた「枝雀寄席」をDVD化したものかもしれない。

DVDの良さは、顔の表情がよく分かること。寄席の場合、数メートルから十数メートル、あるいはそれ以上離れたところから見るので、細かい表情がわからない。それに対しDVDは、場面によって体全体から、胸から上の様子、そして顔のアップまで画面に映し出される。そうすると枝雀独特の表情がよくわかる。

枝雀は話術以外でも魅せた落語家だ。体全体を使い、時にオーバーアクションになる。顔もあえてデフォルメされた表情を使う。これがじっくり見られるわけだ。
枝雀の落語は実に楽しい。ある人は、枝雀は正統派でないと批判するが、僕にはそんなの関係ない。好きなものは好きなのだ。

寄席では、自然に声を出して笑うが、DVDはにやにやしながら見た。

          ハ~ 
        
       
    
 
 


追伸
僕の仕草やしゃべり方に枝雀の影響があります。