tag:blogger.com,1999:blog-3239414588688850708.post4300473978293422948..comments2023-11-05T20:23:54.946+09:00Comments on 司馬氏のアイーダ: 燃えよ剣(2)よんちゃんhttp://www.blogger.com/profile/04372476789780295293noreply@blogger.comBlogger2125tag:blogger.com,1999:blog-3239414588688850708.post-53461068009744083822007-12-31T09:05:00.000+09:002007-12-31T09:05:00.000+09:00ぱぐさん、こんにちは。No.2のあり方について初めて知ったのが、堺屋太一「豊臣秀長」です。それ以来関...ぱぐさん、こんにちは。<BR/>No.2のあり方について初めて知ったのが、堺屋太一「豊臣秀長」です。それ以来関心のあるテーマです。<BR/>個人としてのNo.2のあり方や、組織上のNo.2のポストについても何か書けたらと思っています。<BR/><BR/>土方は近藤勇をトップとして立て、No.2の仕事をしっかりやっているという印象をもっています。<BR/><BR/>刺激のあるコメントをありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。よんちゃんhttps://www.blogger.com/profile/04372476789780295293noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-3239414588688850708.post-51843500705674589882007-12-29T22:39:00.000+09:002007-12-29T22:39:00.000+09:00日本の組織というのは、第一人者は象徴でその下の参謀役が実質的に動かすとうまくいく、というのがうまく行...日本の組織というのは、第一人者は象徴でその下の参謀役が実質的に動かすとうまくいく、というのがうまく行くこつらしいんですよね。<BR/><BR/>第一人者が引っ張りすぎると、たとえば信長みたいに暗殺されるというようなことになるし、平安時代は王朝最盛期ですが天皇は象徴であって実際に権力を持って動かしていたのは摂政関白でした。<BR/><BR/>鎌倉時代、源氏将軍は3代で滅びますが、北条氏は第一戦に出ることなく、頼朝の親戚に当たる公家を将軍に据えて実質的には何もさせず、自分たちが実務をこなすという体制で過ごしました。<BR/><BR/>江戸時代は譜代大名が実務をこなしますが、あれは必ず複数で仕事をするんですよね。おもしろいですね。江戸町奉行も南町と北町があって月番交替といいますから、毎月交替で担当していたのですね。<BR/><BR/>土方の考え方というのは、そういうわけで、あの時代としてはかなり機能本位なおもしろいものだったと思います。その分仲間もたくさん斬ったわけで、憎まれ役も進んで引き受けたわけですが。Anonymousnoreply@blogger.com