「以上のような日本の作法は、幕末であやしくなり、維新によってくずれた。一方、幕末の処士たちの柄(ガラ)のわるさのほうは明治の書生文化にひきつがれた。」
なぜかしらここの言葉が僕の心に重く響きました。
『司馬遼太郎が考えたこと 11』(新潮文庫)に「男子の作法」という9ページという短い文の最後にある言葉です。
石黒恒太郎という幕末から昭和16まで生きた人の回想録「石黒忠悳懐旧九十年」他を題材に書いた文章です。印象的な部分を抜粋しますと
父は恒太郎を「武士らしく-それも幕臣らしく-とても躾ることにやかまし」かったようです。
「そういう父に育てられただけに、日常の挙措動作から精神にいたるまで武士らしかった。」そして「武士像について鋭敏な感覚をもつようになった。」だから、回想録の行間には「当時の武士の容儀、作法などが、陰画のように浮かび出てくる」とあります。
司馬さんは「武士は些末なまでの儀軌を幼少時に摺りこまれることによって作られるものであった」と書いています。
この文章の後半に佐久間象山と恒太郎の初対面を含めた3日間の接した様子が書かれていて、お互いが作法にのっとった所作が描かれています。
こういった文章のあと、拙文冒頭で取り上げた「以上のような日本の作法は~」が、この文章の最後をしめます。
何か大切なものを失ってしまった、という重い感覚があります。
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