「司馬氏のアイーダ」とグログ名につけるほど、司馬遼太郎が好きだ。
ただ「熱烈な」をつけるほどもものではないし、「熱心な」読者でもない。
ブログを始めて約3ヶ月半、今まで司馬遼太郎について書いてこなかった。
10月23日の「水蒸気の風土」で初めて書いた。
「満を持してか?」と問われると、「そんなことはない。ただ書かなかっただけだ」とそっけなく答えるよりほかない。
書こうと思えばすぐにでも書けたかもしれない。だが書く以上は、しっかりしたものを書かなければならないという気負いがあったのも事実だ。
そして実際書くとしても、テーマによっては本や資料を読み込み、構成を考え、文章を練らなければならないと身構えてしまう。
何をするにしてもゆっくりの僕には、相当時間のかかることである。
そんな余裕がなかった。ただそれだけのことである。とうそぶいてみせるが、「何を言っている。ただ一歩を踏み出せなかっただけではないか」をつっこみをいれるもう一人の自分がそこにいる。
前置きが長くなりましたね。しばしのあいだ、お付き合いを。
司馬遼太郎の主要作品は膨大な数の歴史小説、「街道をゆく」などの紀行文、「この国のかたち」などの随筆、対談の名手であったから、その道の一流の人達との対談集もあり、講演の文章化したものやCDもある。
あまりにも多すぎで、一生かけてどれだけ読めるだろうかと思ってしまう。
小説は7年前(H12)「故郷忘じがたく候」を読んでから遠ざかっていたが、ぱぐさんに触発されて「燃えよ剣」を最近読み始めた。
また「故郷~」以降、司馬作品から4年間遠ざかっていたが、平成17年1月から刊行された「司馬遼太郎が考えたこと」(全15巻)をきっかけに読み始め、現在10巻目の後半を読んでいる。
ぼちぼちと読んでいる。
特に「司馬遼太郎が考えたこと」は、一日数ページのペースだ。読まない日もある。牛歩戦術じゃないが、本当にのろい。いつ全15巻読破できるのだろうかと思う。
一方、小説は速い。数十ページ進む時もある。
ただこれをブログに取り上げようかなと誘惑にかられる。そうなると読み返してみたり、考え込んだりする。またペースがおちる。これもいつ読み終えるのだろうか。
今日はここまで。そのうち続編を。