モーツァルト/交響曲第36番を
ジュリーニ/フィルハーモニア管で聞く。
(1982年7月ライブ)
ジュリーニのモーツァルトは音のポリシーがハッキリしている。
これは以前聞いたハイドンの交響曲第94番で漠然と感じましたが、今回のモーツァルトを聞いてハッキリ僕の中で意識されました。
ジュリーニは一音、一音が大切に慈しんでいる、と思います。
やたらアクセントの強い音の出すモーツァルトがあるが、それと対極にあるような気がします。強いアクセントがあるから一音、一音を大切にしていないというつもりはありませんが、慈しみという点では違いがあるような気がします。
こうした音からメロディが奏でられ、伴奏や和音が紡がれていく。出来上がった音楽が極めてノーブルなものになる。
そう思えるのです。だから聞き終えるとなにやら浄化されたような気分になるのです。
特に第2楽章は至福のときを過ごせます。
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