2008年5月14日水曜日

あと1ヶ月

「ジューン・コンサート」が1ヶ月後に迫りました。

正式名称がありますが、このブログ用に「ジューン・コンサート」と名をつけています。

6月14日(土)午後6時半開演です。

毎年のことながら、演奏のことや演出のこと。いろいろな準備などまだまだ不十分なところがありますが、少しでもいい演奏会になるように、何よりも来ていただくお客さんに楽しんでいただけるようにと頑張っています。

2008年5月13日火曜日

メンデルスゾーン/交響曲第5番

TAさんにお借りしているXRCD24シリーズより

メンデルスゾーン/交響曲第5番二短調作品107「宗教改革」
 指揮:シャルル・ミュンシュ
 演奏:ボストン交響楽団

初めてこの曲を聞いた。メンデルスゾーンの曲はほとんど聞かないので、TAさんに感謝です。
一切の予備知識なしで聞き始めた、1楽章開始2分ほどで、金管のファンファーレの後に出てきた弦楽器の美しい響き。
聞き覚えのある旋律 ・ ・ ・  「パルシファル?!」と思わず言ってしまった。
再び金管のファンファーレの後、同じメロディが繰り返される。
間違いない、ワーグナーの舞台神聖祭典劇「パルシファル」第1幕への前奏曲39~41小節目や56~59小節目に出てくるメロディーだ。(多少の違いがあるが、同じであるとみなしていいと思う)
次の瞬間に「パクリか? ・ ・ ・  いや、違う。メンデルスゾーンの方が早い時代を生きているのだから」と、音楽そっちのけで頭の中がぐるぐる回る。
そこでライナーノートを見ると
『ドレスデンの宮廷教会堂で用いられた「アーメン」の旋律 - ワーグナーは「パルシファル」の主要動機に使用した - 』
とある。これで納得した。

ちなみに僕はこのメロディは大好きで、天上にのぼるかと思えるほどだ。
そして「パルシファル」も大好き。

さて、この曲は1830年(作曲者21歳のとき)の宗教改革300年祭の為に作曲された。
前年の1829年には、バッハ没後はじめて「マタイ受難曲」がメンデルスゾーンの指揮で演奏されたが、内面でなんらかの関係があるかもしれない。
宗教改革といえばルターだが、彼の作ったコラールが4楽章で用いられている。

以下、簡単な感想を
1楽章 厳粛でシリアスな感じ。宗教弾圧との戦いを表すのか?
2楽章 明るく、生き生きしている。僕のイメージにあるメンデルスゾーンらしさがある。
3楽章 しっとりと聞かせてくれり旋律が流れる。「美しいメロディを作ってくれてありがとう」と言いたくなる。
4楽章 厳格な部分もあるが、全体として喜ばしさや勝利を表しているような気がする。

演奏に関しては他に比較するのもがないが、相当いい演奏ではないかと思っている。
録音も1957年にしては抜群のものだと思う。

音楽ブログランキングへ
             にほんブログ村 クラシックブログへ

2008年5月10日土曜日

しばざくら



先日、ちょっとドライヴして撮ってきました。

今日は午後、母校に行ってきます。定演(8月)でOB合同演奏する曲を練習します。
曲は「M」です。毎年やっているシリーズもので4、5年前もやったことがあります。僕はこの曲が大好きで、高校生の方から演奏したいという希望があったとき、二つ返事でOKしました。
まさかもう一度できると思っていなかったので、嬉しくて仕方ありません。
今日は高校生のみの練習ですが、7月以降はOBとの合同練習になります。

明日は午前中、地区のソフトボール大会。レクリエーションが目的の気軽な催しです。そのあとは清掃作業。午後から夜10時まで、ジューンコンサートに向けた練習です。ハードな一日になります。

2008年5月8日木曜日

シューベルト/交響曲第5番

シューベルトの交響曲第5番変ロ長調を
イシュトバン・ケルテスが指揮したウィーン・フィルの演奏を聞いたのが、高校か大学の時。朝8時か9時から放送していたFM-NHKでした。

木管の和音の後、ヴァイオリンがひらひらと舞い降りてきて第1主題を歌う。
その軽やかさと優美さが、僕の心を完全にとらえてしまいました。
いつでも頭の中で再生できるほど記憶に残っています。(それ以降の部分は全く記憶にありませんが・・・)

5番の交響曲は常に頭の片隅にあって、いつかCDがほしいなと思っていました。これまで数種類聞きましたが、僕を満足させるものがなく、もしCDを買うならケルテス盤にしようと決めました。
昨秋HMVでたまたま見ていた時に、ケルテス/ウィーン・フィルによるシューベルト交響曲全集が輸入盤で出ているのを見つけた時は、嬉しくって嬉しくって、もう躊躇なく注文をしました。

荷物が届くと、早速聞きました。
流れ出した音楽に「 ・ ・ ・ ちょっと違うな ・ ・ ・ 」
確かに軽やかだが、何か違う・・・

もう○○年聞いていないわけで、演奏の正確な記憶はなく、美化作用が起こって、頭の中だけの理想の音楽を作り上げてしまったようです。
そことのギャップがあったのだと思います。2回目以降は違和感がだんだん少なくなっています。

ここで、こだわりの冒頭1分間の聞きくらべ
・ コリン・デイヴィス盤  テンポは同じくらい、あっさりといってしまうが、爽やかさがあってイイと思う
・ ワルター盤  ゆっくりとしたテンポで、慈しんで歌っている感じ。このしっとり感もいいなと思う
・ ベーム盤  テンポはワルターと同じくらい。なんか平凡だなと思ってしまった

ということで、やっぱりケルテスが一番いいな!
チャーミングさがこの曲にあうと思う。
1楽章の続き、2~4楽章もいい演奏ですよ。

ちなみに作曲は1816年、シューベルト19歳の時。
19歳でこんな曲書くなんて、すごいね!

音楽ブログランキングへ
            にほんブログ村 クラシックブログへ

2008年5月7日水曜日

ベートーヴェン/交響曲第5番

TAさんにお借りしているCDより

ベートーヴェン/交響曲第5番ハ短調作品67
指揮:シャルル・ミュンシュ
演奏:ボストン交響楽団

この記事を書くのに数日迷いました。
なぜなら、ブログを始めてまだ1年になりませんが、いろんな方のブログを読ませていただいて、自分の文章なり音楽の捉え方がいかに表面的なものかと思い知らされています。そこへお前は名曲中の名曲を書くのかと自問自答したわけです。
でもブログは匿名性があるので、恥をかいてもいいやという安直さと、ある無謀な企画を考えたので、一番大変なものを最初にもってきた方が続けやすいという2つの理由で書くことにしました。

さて、「運命」といったほうがよくわかる5番の交響曲。
初演は1808年、ベートーヴェン38歳の時。

200年前の曲なんですね。
この当時の人は、初めて聞いた時どのように感じたのだろうか?と勝手な想像をめぐらしてみました。(初演の時の様子がどうであったかというのは、調べればわかるんでしょうが、面倒なのでしていません。)

冒頭に出てくる「ダダダダーン」には、かなりビックリしたんではないかと思います。
ハイドンの交響曲(ほとんど知らないのですが・・・)やモーツァルトの交響曲(20番以降はほとんど知っています)、ベートーヴェンの4番までの交響曲にこのような始まり方をしたものがないからです。(3番「英雄」はやや例外かもしれない) 
みんなロマン派以降にない優雅さがあります。そういう曲になじんだ人たちの耳に、いきなり「ダダダダーン」と雷のような、嵐のような音が鳴り響いたからです。

そして、1楽章を聞いて奇異に思ったのではないでかと思います。
「ダダダダーン、ダダダダーン」は、はたしてメロディといえるだろうか?
「ミミミドー、レレレシー」とたった4つの音でできています。当時の人の感覚では到底メロディと認めることのできる代物ではなかったと独断で思っています。
曲解説を読むと「動機」という言葉で、この4つの音を捉えています。その当時「動機」という』概念があったかどうか知りませんが・・・

それはさておき、この動機でもって(特にリズムを使って)第1楽章のほとんどできていて、メロディといえるのは第2主題とあとわずかです。
以前の交響曲は2つの主題以外も歌に溢れています。その常識を破った革新的な、いや革命的と言っていいかもしれない曲だったと思うのです。
でも初演当時の耳にはどう聞こえたのでしょうか?ちょっとだけ想像してみました。

ミュンシュ/ボストン響の演奏ですが、恰幅のあるもので、いい音楽をきいたという満足感があります。

録音は1955年となっています。xrcd24シリーズの1枚だが同時代のものに比べ抜群に音がいいです。

音楽ブログランキングへ

2008年5月5日月曜日

東山魁夷

昨夜のTVに、東山魁夷生誕100年を記念した番組が放映されていた。

かなり前のことであるが、一度だけ「東山魁夷展」を見に行ったことがある。
奈良の唐招提寺御影堂障壁画完成後で、これが展示されていたと思う。

その時に印象をおぼろげながらにもたどると、「幽玄」という言葉が思い出されてきた。
圧倒的な迫力で見る者に迫るのでもなく、釘づけにして引き込むのでもない。ほどよい距離感を保ちながら、見る者の心にしみわたってくる絵だったように思う。

東山魁夷の絵を見ていると、まさに日本人で日本の風土を描いた画家だと思う。
それは昨年10月23日の拙ブログ「水蒸気の風土」に引用した司馬遼太郎の文が、僕の頭の中にあるからだ。

以下10月23日の文より引用
『 これを受けて司馬遼太郎は書いている。「日本の山も島も、スポンジのようにたっぷり水気をふくみ、旺盛な樹叢が、根という網の袋でその水を抱きこんでいる、(途中略) 山や島は湯気だつように呼気してその上に雲をつくっているのである。ときに靄や霧が地を這う。里も村も、おのれの形象や色彩を明晰にするよりも、むしろ陰翳でもってみずからを語ろうとする。日本史は、水の豊富さということを外しては成立しない。同時に、日本における感覚の歴史も、この島の世々が水蒸気につつまれて過ぎてきたということが決定的なものになっている」『司馬遼太郎が考えたこと 10』より「水蒸気の風土」(P174~176)、「三岸節子展に寄せて」(P221~223)から引用し、独断と偏見で文をつなぎ合わせました。』

空気の乾いた風土では生まれなかった絵だと思うのです。

2008年5月4日日曜日

Sまつり

今日のSまつりでの演奏は、風との戦いでした。

晴天で気持ちよかったのですが、風の強さにはまいりました。
行楽で来られているかたには、気持ちのいい風だったと思います。

演奏する側にすれば、涼風とはいえず、譜面台が倒れそうになったり、楽譜がめくれたり、時には飛ばされることもありました。
フルートさんによると、管に吹き込む息が向かい風に押し戻され、十分な息が入らないため、音が出ないことがあったそうです。(リハの時、ソロの場面でちょうど風が吹き、譜面台は倒れかかるは、音は出ないはで、大変でした)

指揮する側は、そんな苦労はないだろうと思われるかもしれませんが、一つ大変なことがあります。
スコアが飛ばされないように、片手でずっと押さえておかなければならないことです。そしてページをめくる時に注意してめくらなければなりません。下手をするとバタバタととばされてしまうのです。

何がかというと、スコアのページです。
僕の場合、スコアをコピーした1枚1枚を扇子状になるように、テープで貼っていきます。(糊づけして製本に近い形にはしていません) だから、ばっと広げると5メートルを超すこともあります。曲によっては10メートルぐらいいく曲があるかもしれません。

そのようにしているので、メージをめくる時に風が吹き付けると、めくり終わったページ側がばたばたととばされるのです。鯉のぼりか凧のように。
今日はリハも含めると5回以上ありました。(ふ~)

こういう経験を積んでくると、ちょっとした事には動じなくなります(笑)

2008年5月3日土曜日

山はまだら

山がまだら模様になるのは、年2回あると思っています。

秋、紅葉の頃と新緑が初々しい今の時季です。

冬の間どよんとした深緑をしていた木々が、春になって生気を取り戻してきます。
その中に、神々しいばかりの白色のうすい半透明な膜をかぶった新緑が、元気いっぱいに立っていて、まだらをなしています。

どの山も同じまだらでないのがおもしろいです。

2008年5月2日金曜日

ボレロ

ラベルの「ボレロ」
今のところ、これほど不思議な曲はないと思っている。

1. 最初から最後まで同じリズムが続く
2. 音量に起伏がない
3. メロディは2つだけ
4. 伴奏に変化がない

1について、小太鼓奏者にとっては、14~15分たたき続けるのは大変だと、勝手に想像しています。

2について、fになったりpになったりという音量の変化がない。ppから始まり少しずつ、本当に少しずつ音量を上げていき、最後にffになる。1曲全体がクレッシェンドでできている。

3について、2つのメロディが規則正しくA→A→B→B→A→A→B→B・・・と繰り返されるだけ。

4について、低音パートはほとんど同じリズムと音型をひたすら繰り返すだけ。「管楽器および弦楽器の低音パートの皆様、延々と御苦労さまです。でもあなた方の支えのおかげてこの曲が成り立っています。」と言いたくなる。

これだけ書けば、単調な曲ですぐ飽きてしまいそうになると思う。
それが違うんだな。(これは皆さんがご存知のことです)
何度聞いても飽きがこないし、曲としての魅力もあせることがない。

なぜだろう?考えれば考えるほど不思議な曲だと思う。


先日読んだ本の中に一つの解答がありました。
みつとみ俊郎『オーケストラの秘密』P135より

「ボレロは、本当に人を興奮させる要素をたくさん持っている。テンポもだいたい90前後で人間の脈拍のテンポをほぼ同じ(だから人はこのテンポにハマってしまう)。
そして単純なメロディのくり返し(人間は単純なリズムのくり返してハイな状態になりやすいことは、ロックやダンス音楽を聴けばよくわかる)でどんどん音量を増していくアレンジはオーケストラならではの楽しさと魅力がたくさん詰まっている。」

脈拍に近いテンポと単純なリズムのくり返し、なるほどそうかと思いました。でも謎は全部解けたわけではありません。まだまだ謎に満ちています。まあ、思い出した時にぼちぼち考えていきます。

TAさんから貸していただいたCDで、マゼール/フランス国立管弦楽団を聞いています。
この演奏は初めて聞きますが、管楽器のソロを出色です。ただ上手いだけではありません。味があるというか、えも言われぬ雰囲気があります。

音楽ブログランキングへ
            にほんブログ村 クラシックブログへ

2008年5月1日木曜日

モーツァルト/ハフナー・セレナード



近くの自転車道で撮りました。自転車に乗っていて、あまりの咲きっぷりのよさにひかれました。携帯電話で撮ったので、平凡に見えてしまうのが残念です。
今は花が美しく咲くのがたくさん見ることができるいい時季です。


さて「ハフナー・セレナード」を
指揮:ジャン=フランソワ・パイヤール
演奏:パイヤール室内管弦楽団
で聞きました。

パイヤールの演奏を初めて聞いたのは、中学か高校の時。NHK-FMの朝8時か9時から始まる番組の始めと終わりにながれていた「パッヘルベルのカノン」。その時はパイヤールのものとは知らなかった。いつだったか友人がバロック名曲集(パイヤール盤)を聞かせてくれて、曲名と演奏者の両方を知ることになる。

フランス人のパイヤールと、フランスの室内オーケストラであるパイヤール室内管とモーツァルトの三者は幸福な出会いだと思っている。
彼らの演奏によるバッハやフランスバロックの作曲家も素晴らしいが、モーツァルトをやるのが僕は最高の組み合わせだと思っている。
ドイツ、オーストリア、イギリスの指揮者やオーケストラによるモーツァルトも好き。名演奏も数々ある。
だけど、パイヤールによるモーツァルトは、僕の中では別格の存在感をもっている。

彼らの演奏を形容するのに適切な言葉を知らない。
なんていうんだろう・・・、独特の軽みと優美さ。品のよさ、気品があると言っていいかもしれない。

聴いていて幸せな気分になるのです。

このCDは我が吹奏楽団のTAさんから「しばらくの間どうぞ」と言って貸していただきました。
ビクターのXRCD24のシリーズからの1枚です。我が家のおんぼろCDラジカセで再生しても「いい音」がしているような気がします。
同シリーズのCDがそこそこの枚数あります。全部聴いて早く返さなくてはならないので、聴いたらブログにアップする予定です。

音楽ブログランキングへ