「LA MER」
このフランス語は何と発音するのだろう?「ラ・メール」だろうか?仮にそうだとして、「ザ・スィー the sea」と「うみ」では意味するところが同じでも、言葉の響きが違うので、受ける印象も違ってくる。
ここのところプチテーマになっている「涼感を求めて」
今日はドビュッシーの「海」について
葛飾北斎の版画『富嶽三十六景』の中の「神奈川沖浪裏」からインスピレーションを受けて作曲されたらしい。「3つの交響的素描」という副題がついている。
第1曲「海の夜明けからま昼まで」
「海」に対してもった、やや退屈な音楽という第一印象はその後数回聞いたが変わることがなかった。だからずっと聞いていなかった。もう何年ぶりかわからないほどだ。ちょっとぐらい涼しい気分を味わえるかなという単純な思いつきで聞いた。
「退屈?」何が何が、多彩な音色と絶えず変化していく情景に驚くばかりで、決して退屈とは言えない音楽だ!
ころころ変わっていくと音色が聞きたくて、何度も再生ボタンを押し、聞き耳を立てた。
そうそう、演奏のことを書いていなかった。
指揮:シャルル・ミュンシュ
演奏:ボストン交響楽団
(1956年、ボストン・シンフォニーホールでの録音)
XRCD2シリーズの素晴らしい録音。50年前とは思えないほどのクリアな音。同時期のカラヤンのEMIセットのモノラル録音とが比べると、その差はあまりにも大きい。
この演奏と録音で「海」の素晴らしさを初めて知ったといえる。
第2曲「波のたわむれ」
これ以前に「波」を描写した音楽があったのだろうか?と素朴な疑問をもった。(知っている方がおられたら教えてください)
波が太陽の光を受けてキラキラ輝くさまや波のしぶき、波と波のぶつかり、大きな波のうねり等イマジネーションを膨らませながら聞くことができた。
クラシックを聞き始めて○○年、ようやくドビュッシーのおもしろさに気づいたのだろうか・・・と独り言。
第3曲「風と海との対話」
クリアな録音のおかげで、いろんな動きがわかっておもしろい。音色の変化とスケール感を十分堪能した。「いやー、よかった、よかった」
ここで思ったことなんだけど、音色について気にかけるようになったのは2~3年前から。吹奏楽の作曲家にベルト・アッペルモントという人がいるが、彼の作品を演奏するようになってからのこと。それがなければ、今日このようにドビュッシーがおもしいろいと感じることが、もっと先のことになったかもしれないと思っている。
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2 件のコメント:
こんにちは。
ミュンシュ/BSOの「海」はマルティノン、デュトワ、ブーレーズ、最近のクリヴィンヌなどの盤に比べると、濃厚で大きなうねりを持った色彩感溢れる演奏ですね。
この曲、特に第3曲「風と海との対話」は吹奏楽でもよく演奏されますが、弦と管との対比が無意味になるということで当初は賛否両論喧しいものがありました。吹奏楽ではどうしても立体感が損なわれてしまう感は否めませんが、ボクがまだ高校の現役と関わっていた頃、散々その演奏を聴いているうちにそんなに違和感は感じなくなりました。慣れとは恐ろしいものです(笑)ニ度コンクールの自由曲に採り上げて、一度目は八田泰一さんの編曲、二度目は藤田玄蕃さんの編曲(ということになっていますが調性を原調に戻したり他にもかなり手を加えていました)でした。
オケに戻って、過去の名盤に拘るのも如何かと思いますが、マルティノンの演奏が未だにボクのイチオシです(長くなってすみません)。
24hirofumiさん、こんにちは。
マルティノンとブーレーズは実は持っているのですが、聞いていなかったんです(苦笑)
他の曲を聞いて「海」を敬遠していたんです。
ミュンシュのおかげで、この2枚の「海」が普通に聞けそうです。イチオシのマルティノンは、じっくり聞きますね。
クリヴィンヌという名前は初めて聞きました。今後気をつけるようにします。
第3曲「風と海との対話」の吹奏楽編曲版は、かなり前に聞いたことがありますが、どんな演奏であるかはすっかり忘れてしまいました。
『弦と管との対比が無意味になる』
これは吹奏楽編曲の避けようのない宿命のような気がします。
『慣れとは恐ろしいものです』
たしかにそうですね。僕もクラシックの編曲ものをわずかばかり演奏したことがありますが、やっていくごとに最初に感じた違和感はだんだん感じなくなってしました。麻痺してくるんでしょうね。
編曲者の違いは興味あるところです。機会があれば聞き比べてみたいです。
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