「人間ならば誰にでも、すべてが見えるわけではない。
多くの人は、自分が見たいと欲することしか見ていない」
「どれほど悪い結果に終わったことでも、それがはじめ
られた そもそもの動機は善意によるものであった」
この2つは、ユリウス・カエサルが語ったことばです。
塩野七生さんの大作『ローマ人の物語』は全15巻からなっています。ようやく第4巻、第5巻の「ユリウス・カエサル」をようやく読み終えましたが、ここでカエサルのことばであると紹介されるまで、塩野さんの基本的な考え方であると思い込んでいました。
それほどまでによく引用されることばです。 僕が今まで読んだ5巻の支柱になっているのではないかと思えるほどで、要所要所に引用されています。
2 件のコメント:
よんちゃんさま こんにちは
「人間は自分が望むものを見ている」という言葉、良く言われる言葉なのですが、カエサルの言葉だったんですね〜。19世紀には、客観的な認識ができると人間は思いこんでいたのですが、20世紀後半になってようやく「客観的」も主観的である、と言われるようになってきたと思うのですが、大昔にカエサルが言っていたのですね〜。
それに「何でも善意から始まる」という言葉もそうなんですね〜。善意から起こる戦争や紛争が多いですよね〜、こういうのが一番たちが悪いですよね〜。
塩野さんの本は読んだことがないのですよ。歴史は好きなので、その辺りの歴史書はある程度は読んでいるのですが〜。
ミ(`w´彡)
rudolf2006さん、こんにちは。
カエサルの2つのことばは重い言葉です。
>「客観的」も主観的である、と言われるようになってきた<
以前に聞いたことがあります。100%客観的というのはあり得ないとも。
塩野さんの著作では、現実を理解していたカエサルと、見たい現実だけ見ていた元老院の人たちの様子が描かれています。
善意から始まるというのは、政治にしろ争いごとその他にあてはまると思います。
>善意から起こる戦争や紛争が多いですよね〜、こういうのが一番たちが悪いですよね〜。<
たしかにそうですね。
そこがに人間の難しさや哀さを感じます。
塩野さんの著作は面白いですよ。イタリアものがほとんどですが、その中でローマものとルネサンスものの2つがメインです。興味のあるところからお読み下さい。
自称塩野七生宣伝マンでした(笑)
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