2012年1月6日金曜日

純音楽的アプローチ

インバル/フランクフルト放送響で、マーラーの交響曲第9番を聞きました。

いい演奏でした。

聞きながら「純音楽的アプローチ」について考えました。これは「風のように」に書きました。

対極としてバーンスタインを意識しています。あくまでも漠然とした意識です。

2012年1月3日火曜日

ブラームス/交響曲第1番

僕がブラームスの交響曲第1番を初めて聞いたのは15歳前後。カラヤンとフィルハーモニア管によるレコードだった。

今通販なんかでプレーヤーとアンプとスピーカーが合体したものを見かけるが、僕が中学生当時にもあった。勿論外見は違う。今のものはそれなりに雰囲気のあるデザインになっているが、当時のそれは、プラスチックのいかにも安物の再生装置という感じだった。

これで何度もカラヤン/POによるレコードを聞いた。これって第1番の初録音になるのかな? よくわからないけど・・・
今回聞いたのは最晩年の録音。1988年5月5日サントリー・ホールでのライヴ録音だ。

基本的な解釈は変わっていないと思う。僕にとってPO盤は刷り込みになっていると言っていい。だから安心して聞けるし、音楽に入り込んでいける。

カラヤンのスタジオ録音は時としておもしろくない。音楽に入り込んでいけないときがあるのだ。しかし、このライヴ録音はいい。自然にのめりこんでいけるし、聞いていて充実感がある。

カラヤンのスタジオ録音によるCDは購入を躊躇うときがあるけども、ライブ盤はみんな買ってもいいなと思わせる。ここのところライヴ盤がいろいろ出ているようだけ。歓迎すべきことだ。しかし財布のひもはゆるめすぎてはいけない(笑)

2012年1月1日日曜日

謹賀新年

明けまして
  おめでとう
    ございます


なかなか更新をしないブログですが、ぼちぼち続けていきますので、よろしくお付き合いください。

2011年12月21日水曜日

精神性

友人にフルトヴェングラーの「運命」と「田園」が入ったCDを借りた。

フルトヴェングラーの「運命」には、演奏日の違いだけでたくさんCDがあるらしい。だからいつの演奏なのかがマニアにとっては大事なことらしい。

フルトヴェングラーの指揮によるものは、ほとんど聞いたことがないので、そこらへんの感覚はわからない。
それはいい。
聞いてみての感想だ。
フルトヴェングラーの演奏には「精神性」というのがキーワードになるようだが、僕にはそれを感じ取ることができなかった。

俗にいう「運命の動機」は大変重苦しい扱いがされていた。わざと合奏があわないように振るらしい。何かで読んだことがある。たしかに縦の線があっていない。この合わなさは中学レベルかと思うほど。中学生あいてに指揮者がイライラするところを想像してしまった。しかし、相手は天下のベルリン・フィル、無類の合奏能力を持っている。これを合わないようにするのだから、逆の意味で ス ゴ イ 。

運命の動機以外はちゃんと縦の線はあっている。まあ、当然か・・・、そうじゃないと困るもんね。

そんなことを思いながら1楽章を聞き、ずっと最後まで聞いた。演奏はよかった。しかし、カラヤンと対比してフルトヴェングラーの「精神性」と言われものを感じ取ることができなかった。

つまり(ちょっと飛躍するけど)、僕は精神性を感受できないレベルの低い人間となる。

まあ、当たっているけどね。

2011年12月5日月曜日

ボレロ

小澤征爾/ボストン響による「ボレロ」

先日から聞いている6枚組のCDに入っていました。ボレロはフランスものを集めた1枚の1曲です。
小澤さんのフランスものは定評があるようですが、別に期待せずに聞いていました。フォーレの数曲のあとラベルの曲が続きます。
フォーレはこの組み合わせでのCDを持っているので、聞きなじみのある演奏で、特に感想らしい感想はありません。
ラベルは小澤征爾/ボストン響では初めてなので、かなり新鮮です。ブーレーズとクリュイタンスのCDを持っていますが、違うタイプの演奏です。響きとリズムの感覚が違います。結構いいですね。

そしてボレロですが、リズムが生き生きと弾んでいます。舞踏音楽色を前面に出した演奏といえるかもしれません。かなりいいです。

2011年12月2日金曜日

小澤さんの響き

TSUTAYAで「小澤征爾ベスト101」を見つけたので借りてきました。

オムニバス盤で6枚のCDに101曲入っています。
101といっても交響曲が101曲というのではありません。一つの楽章を1曲でカウントしています。

そうしないと6枚で収まりませんからね(笑)

オムニバス盤は気楽に聞けます。交響曲を1楽章から最終楽章まで聞こうとすると、それなりに気合を入れて聞きますからね。

まず2枚聞きました。
そこで思うのは、小澤サウンドという言葉はありませんが、他の指揮者とは違う響きの構造があります。

指揮者それぞれに個性があり、それが音の響きに反映されます。だから指揮者の名をとって〇〇サウンドといえないこともありません。なので取り立てて「小澤サウンド」というのでもないのですが、何かが違います。

うまく言えません。

何かが違うのです。


CDの説明です。
小澤征爾75歳記念! 人気の「101シリーズ」に小澤征爾が登場! マエストロ・オザワによる名曲・名演奏をたっぷり101曲収録した小澤征爾入門の決定盤! クラシックの人気作品101曲を、ほとんどフェード・イン/フェード・アウト無しで収録。総収録時間7時間49分! ボストン響音楽監督に就任した1973年の録音から2002年ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートまで、幅広いジャンルを指揮してきた小澤征爾の音楽の魅力を思う存分堪能できる。(録音: 1973-2002年) 日本独自企画盤。小澤征爾75歳記念キャンペーン対象商品。

2011年11月11日金曜日

シベリウス/交響曲第1番

バルビローリ/ハレ管のシベリウス全集を久しぶりに取り出してきました。

まずはシベリウス/交響曲第1番。
この曲大好きなんですね。そしてバルビローリのシベリウスは熱い。北欧の氷も融けてしまうくらい。
でも1番や2番は熱い演奏の方が好きですね。そういう面でいうことなしの1枚でした。

2011年10月23日日曜日

ニュルンベルクのマイスタージンガー

「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を2回続けて聞いた。車を運転しながらである。

演奏はカラヤン/シュターツカペレ・ドレスデンその他。

ベルリン・フィルの音でもウィーン・フィルの音でもない。カラヤン独特のレガートが聞かれない(というか、目立たないという方がいいのか? そこの聞き分けが僕にはできない)

結果論だが、シュターツカペレ・ドレスデンでよかったと思う。なんとなく曲にあっている感じがするのだ。
他の演奏を聞いたことがないので、いいとも悪いとも言えない。けれどもなんとなくいい演奏だと思える。

デアゴスティーニのDVDオペラコレクションでマイスタージンガーは購入済みである。まだ見ていない。
そろそろ見ようと思う。曲になじみができた。軽い予習もできた。あとは字幕を追いつつ、歌詞を理解しストーリーを飲み込む。舞台での動きをみる。それらすべてを堪能する。そういう手順は頭の中にある。あとは実行あるのみ(笑)

2011年10月11日火曜日

執念 小澤征爾 76歳の闘い

昨晩「執念 小澤征爾 76歳の闘い」を見た。

凄まじい内容だった。

番組のタイトルには注意を払わない方だけど「執念」というのはおかしい。内容にあっていない。

昨年の「弦楽セレナード」(チャイコフスキー)が流れた一コマで、小澤さんは“命”という言葉を使っていた。
命がつながっているというようなことを言っていた(かなり記憶が曖昧)

そこから言葉を借りるけど、昨晩のドキュメンタリーからは“命を懸ける”としか言いようのないものを感じたのだ。だから執念と違う。
それから、小澤さんには“音楽に対する情熱”を常々感じているけれども、今回はそれとは違ったのだ。

今年のサイトウ・キネン・フェスティバルで小澤さんが振るのは1曲。バルトークのオペラ「青ひげ公の城」。
このリハーサル風景は、鬼気迫るのもがあった。

ブラウン管を通すと、生で感じるものより何割も減じたものなってしまう限界がある。それでも、おそろしいまでに伝わってくるものがあるのだ。

ステージリハで、オーケストラピットにあって全体が暗い中、小澤さんの顔にわずかな照明があたる。(子供相手に、暗い所で懐中電灯を顔にあて、オバケだ~という場面に近い) 
それをカメラがとらえている。バルトークの音楽と合わせると、まさに鬼気迫る感じだ。

それとも、命を削って・・・、いや、削り取った命をむき出しに見せている。そんな感じさえする。


「青ひげ公の城」は土曜日の夜BSプレミアムでやっていたので録画したが、まだ見ていない。
このドキュメント番組を見たからには、軽々しく見れない。
居住まいを正して見なければなるまい。

2011年10月6日木曜日

くるみ割り人形

「CDで音だけ聞いていても素晴らしいが、しかしそれが全てではなかった。
オペラにしろバレエにしろ、舞台で演じられているのを見なきゃだめだ」

デアゴスティーニのバレエDVDコレクションで「くるみ割り人形」を見ての感想です。


チャイコフスキーの3大バレエは、音楽だけでも素晴らしく美しい。十分に作品として成立しています。
特にそれぞれの組曲は、カラヤン/ウィーン・フィルのCDで堪能しています。

けれどもDVDで、ライブ映像を見ると、やっぱりバレエは「バレエの曲なんだ」と強く思いました。
作曲者はあらすじと各場面をイメージしながら曲を作っているはずです。バレエ・ダンサーに踊れれることを前提として書いています。だから、音だけ聞いていても、それだけで100%ではない。当たり前と言えば当たり前のことに気がつきました。

交響曲や管弦楽曲は、聴覚から入ってくるもので感動します。バレエは聴覚プラス視覚で魅了されます。
しかも素晴らしい舞台装置と衣装、練りに練った演出と振付、そして素晴らしい踊り、すべて視覚でとらえられるものです。
クラシックの中で、最も視覚に訴える要素が大きいといえます。

だから、見なきゃだめだ。

そう思うのです。


いや~、それにしても九十数分が夢見心地でしたね。3大バレエの中で「くるみ割り人形」が一番好きですから、なおさらです。

オペラは同じ作品を短期間に繰り返し見たいとは思いません。数ヶ月以上間隔を開けたいと思いますが、「くるみ割り人形」はわりと頻繁に見ていたいと感じました。

ちなみに、あらすじは (デアゴスティーニのHPから引用します)
<クリスマスイブ、シュタールバウム博士夫妻の家のパーティに招かれた魔術師ドロッセルマイヤーは、夫妻の娘で15歳のクララにくるみ割り人形をプレゼント。その夜、クララはくるみ割り人形が気になって、そっと居間に出てきます。そのとき時計が0時を告げ、不思議なことが起こります。大きなねずみの大群が現れ、くるみ割り人形が率いるおもちゃの兵隊と戦いになります。そして、ねずみの王と戦ったくるみ割り人形は王子に変身。クララを不思議な国へと誘います。そこでクララは憧れのバレエの役、金平糖の精になって王子と踊るのです。踊りの最高潮で夢は消え、クララはクリスマスツリーの下で目を覚ましたのでした>