2008年9月30日火曜日

定演

日曜日に行った近くの高校の吹奏楽部定期演奏会の感想です。

3部構成で
stageⅠ シンフォニック・ステージ
stageⅡ ポップス・ステージ
stageⅢ ステージ・マーチング・ショー
となっていました。

stageⅠ
1曲目は「威風堂々第1番」
 難しい曲ですが、よく健闘していましたね。ただ、この曲はオーケストラの名演奏が聞きなれているので、どうしても採点が辛くなります。

2曲目は「愛のあいさつ」
 同じエルガーの曲です。ここでのクラリネットの歌い方がすごく良かった。弦楽器がメロディを奏でる編曲が好きなのだが、木管楽器が弦楽器のように歌わせるのは難しいと思っている。ところが、弦楽器のように歌わせていたのには驚いた。技術の正確さと歌心があるんだろうな。

4曲目は「星の王子さま」
 僕は作曲者の樽屋雅徳さんの曲は大好き。今回の定演の楽しみの一つでした。
 ところでM先生は樽屋さんが好きなのだろうか?一昨年の定演でも取り上げていた(マゼランの未知なる大陸への挑戦)。
「星の王子さま」は同校の演奏を6月に聞いた時、演奏の素晴らしさに目をみはったが、今回はより緻密な演奏になったように思われた。そして各楽器の音がよく聞こえる。濁ったり曖昧だったりでないはっきりとした音が聞こえてくる、そこがすごいところだ。
もちろん曲の仕上がりも素晴らしい。これをまとめたM先生は凄い!

stageⅡ
 「Free」というテーマで選曲・構成されていた。すべて高校生が考えるのだろうが、発想の柔軟さとアイデアにあふれたステージだった。若いことはいいことだ、頭が柔らかく自由な発想ができることに“オヤジ世代”の一人として羨ましく思った次第だ。
ステージ・ドリルができるバンドでないとできない舞台の使い方をしていた。うまいねェ!
踊りも立派。恥ずかしいというそぶりが少しでも感じられると見ている側は、なんとなくいやになるのだが、そういうのがなかった。一つ一つの動作がけっこうキマッテいたと思う。「ウェストサイド・ストーリー」の踊りが一番よかったな。

stageⅢ
 ステージ・ドリルは毎回楽しみにしている。同校の定演は今回で3回目だが、一昨年の感動が忘れられなくて、昨年も今年も楽しみにしていた。期待通りの素晴らしいものだった。
一番いいと思ったのは、鍵盤楽器のアンサンブル。演奏はもちろんいいが、それ以上にプログラム構成上、あそこにいれたのは絶妙の配置だと思う。
他に印象的だったのはトランペットとトロンボーンの質が高いこと。一昨年は金管楽器がやや弱いという感じだったが、今年は違った。M先生が赴任された時の1年生だ。生徒たちの頑張りもあるが、先生の指導の賜物だと思う。技術的にしっかりしている。

技術のことをいろいろ言っているが、音楽表現のためには「技術」が必要です。 (ちょっと独り言でした)

さて同校吹奏楽部のよさは真剣さと一途さだと思っている。
僕が高校生の演奏が好きなのは、一生懸命に演奏していること。なんといってもそれが一番の魅力だと思う。今回もそれが感じられてよかった。

ここでまた独り言だが、僕の指揮は独学です。よくわからずにやっているわけで、
M先生に僕の師匠になってもらえないかな・・・
合奏指導法など教えてもらえないだろうか・・・
と、たわごとを。

音楽ブログランキングへ
                 にほんブログ村 クラシックブログ 吹奏楽へ

2008年9月29日月曜日

銀星

思わぬご無沙汰をしました。

昨日は仕事以外のことでびっしりと予定が詰まっていました。
9時から地区のバレーボール大会。
10時半から母校吹奏楽部で練習。創立○年記念ミュージック・フェスティバルのための練習です。
午後2時から近くの高校の定期演奏会。この感想は後日書きます。
6時来客。8時からPCが不調のため、サポートセンターからの電話。
ふ~、ハードな一日だった(ため息)

バレーボールのことですが、我が地区は万年最下位争いをしているチーム。一回戦の相手は優勝争いの常連チーム、ああ今年も一試合で終わるか、まあ参加することに意義ありかな・・・という軽い気持ちで試合をします。
ちなみに言いますが、お兄さんやおじさん達のバレーボールはレベルが低いです。ママさんバレーと戦えば間違いなく負けます。少女バレーの強いチームとあたっても負けます。それぐらいのレベルです。

そんなこんなで試合をしましたが、なんと勝ってしまったのです。セットカウント2対0。相手チームにいつものうまいメンバーがいないということもありますが、まさかまさかの勝利でした。
大きな声で「金星」と言いたいところですが、レベルの低さとレクリエーション程度の軽いものなので、控えめに「銀星」にしておきます。

2008年9月24日水曜日

ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」

昨日は吹奏楽フェスティバルでした。
我が吹奏楽団のメンバーの皆様お疲れ様でした。
いつもの練習会場での響き方と違って、周りの音が聞こえにくく自分だけで吹いているような感じがしてやりづらかったという感想を聞きました。奏者にとってこれは厳しいことだと思います。

僕個人としては、まあまあ良かったのではないかと思います。
・・・が、録音を聞いたら、どういう感想を持つでしょうか。 毎度のことながら怖いのです(苦笑)


さて、2か月ぶりにベートーヴェンの交響曲全集を聞いています。
演奏は、ベルナルト・ハイティンク/アムステルダムコンセルトヘボウ管弦楽団です。

前回は4番が一番ピンときた演奏でしたが、今回は1番から順に聞いていてまだ途中ですが、6番が気に入って今日の記事として取り上げることにしました。

この全集通しての印象は、ハイティンクの解釈は楽譜に忠実に、というよりも素直なもので、それを音にしたという感じです。オケの響きはいぶし銀、そして派手に盛り上がることはありません。
だから初めて聞いた時はやや平凡という印象でした。けれども2回目となる今回は、前回より好感度が増しました。かなりのアップです。 各曲についてはいずれ取り上げることがあると思います。

第6番「田園」の演奏ですが、よかったところだけ書きます。
1楽章はオーケストラの響きの肌触りが心地よい。
2楽章がすごくいいですね。なんともいえない落ち着いた気分にしてくれます。今の言葉でいえば「癒し」なのかな?でも何か違う感じがします。「くつろぎ」「やすらぎ」といったほうがしっくりきます。

2楽章のみの僕のお気に入りランキングでは、ハイティンク/ACOが一気にトップになりました。しばらく我が家で鳴り続けているでしょう。

5楽章にとびますが、冒頭のクラリネット、ホルンに導かれてヴァイオリンが主題を奏でるところ、ここでの音量と歌わっせかたは絶妙です。 ライブだったら息をのんでいる瞬間なる、そんな感じです。

まだ続きの曲があります。どれくらい間隔をあけて聞くかは予想がつきませんが、3回目の全曲通しが楽しみです。

音楽ブログランキングへ
     にほんブログ村 クラシックブログへ

2008年9月22日月曜日

吹奏楽フェスティバル

いよいよ明日に迫った吹奏楽フェスティバル。
近隣の中学校、高校、社会人バンドが一堂に会し演奏を披露します。各団体の持ち時間は15分(入退場含む)です。

朝は9時(?)から中学校のリハーサルが始まり、全演奏終了予定時刻が4時45分(間違いなく5時はすぎますけどね・・・)になります。わが吹奏楽団は昼ごろにリハーサルをして4時(予定)から演奏します。

曲は前回紹介した「コーカサスのスケッチ」

わが楽団は硬派路線を貫いておりまして、ここのところずっと吹奏楽オリジナル曲をしています。他団体はポップス系(ここではクラシック、オリジナル以外の曲という意味です)のみだったり、クラシックorオリジナルとポップス系の組み合わせだったりで、オリジナル曲のみを演奏する団体はあまりありません。そういう意味で硬派だと勝手に思い込んでいるわけです。

さあ、明日は気持ちを込め、そして楽しく演奏ができたらと思います。

音楽ブログランキングへ
                  にほんブログ村 クラシックブログ 吹奏楽へ

2008年9月20日土曜日

コーカサスのスケッチ

昨日に続き、チェザリーニの作品から

コーカサスのスケッチ  Caucasian Sketches Op. 36

スコアに3ヶ国語で解説が載っています。一部削除または追加し独断と偏見で訳してみました。
チェザリーニがロシア旅行中にコサックの音楽を知ることになった。(ちょっと他で調べると黒海北東岸のクバン地方から来たコサックの民族音楽グループの演奏を聞いたらしい)
馬術やサーベルやナイフを使った剣舞の技を見せるコサックの踊りや、バラライカ(ロシアの代表的な弦楽器)や管楽器、アコーディオンの合奏による多彩な響きの民族音楽に魅せられ、これがチェザリーニの作曲家としてのイマジネーションに深い印象を与えたようです。

それを彼の音楽の中に再現しようとして、2003年から2004年にかけて「コサック・フォーク・ダンシズ」作品31を、その続編として2006年に「コーカサスのスケッチ」作品36を作曲しました。どちらも4曲からなる組曲となっています。
スラヴや中央アジア、トルコ、あるいはジプシーの影響を受けたコーカサス地方の音楽の独特の雰囲気が描かれています。

「コーカサスのスケッチ」の副題に「コーカサス・フォーク・ダンシズ パート2」とあり、2曲で完全なものとしていて、理想を言えば2曲一緒に演奏することが望ましいとあります。
コサックの音楽の魅力は光り輝くような踊りと音のなかにあるメランコリックなあこがれにあります。作曲者はこうした特徴をできるだけ忠実であろうとしています。

さて曲ですが、4曲それぞれに題名がついています。

1. The Sun is Rising Behind Siberia
 荘厳さと哀しみをもつ曲です。ヘ短調。

2 Green Forest
 2拍子の楽しい曲。まさに踊りの曲です。変ホ長調

3. Oh Cherries Sweet Cherries
 優雅なワルツ。変ホ長調で始まりますが、すぐハ短調になります。
 4分の1が長調、4分の3が短調で明るさと哀調をおびたメロディが魅力的です。 

4. My Dear Husband Wants Vareniki
 僕の個人的イメージではまさにコサックダンスです。ハ短調。

実は、この曲が23日にある吹奏楽フェスティバルで演奏する曲です。1ヵ月半ひたすら練習してきました。明日も練習があります。細部まで神経を行き届かせたいことと曲のもつ雰囲気を表現していきたい。そして楽しく演奏できたらいいと思います。

音楽ブログランキングへ
                 にほんブログ村 クラシックブログへ

2008年9月19日金曜日

コサック・フォーク・ダンシズ

フランコ・チェザリーニ(Franco Cesarini、1961年4月18日生まれ)はスイスの作曲家。

彼の吹奏楽作品で有名なものは「ビザンティンのモザイク画」「メキシコの風景」「アルプスの詩」「ブルー・ホライズン」などがあります。

アイドル・オブ・ザ・フライズ(蠅の偶像) ~ The Idol of The Flies ~ という、チェザリーニの作品を集めたCDから
コサック・フォーク・ダンシズ」 (訳するとコサック民謡舞曲 : Cossack Folk Dances ) を取り上げます。

Wikipediaのよると。「コサック」は、ウクライナやロシアなどに生活していたコミュニティーまたは軍事的共同体の名称だそうです。
また「コサック・ダンス」は、文字通りには「コサックがする踊り」のことでありまするが、日本では特に「腰を低くして腕を組み、足を高く上げて踊る独特のダンス」というステレオタイプが定着しています。しかしコサックのダンスには、実際にはこの他にもいろいろなスタイルのものがあるそうです。

さて曲は4つの曲から成っています。
1) Kuban, our Motherland  
 堂々としていて曲のオープニングを飾るにふさわしい曲です
 
2) Dunya Ran the Ferry   
 軽快で楽しい部分とゆったりとした部分の対比がうまく作ってあります

3) I’d Take a Bandore    
 ゆったりとしたテンポで、深く物思いに沈むような曲調です

4) Unharness the Horses, Boys
 まさにダンスという曲です。コサック・ダンスとはこんな曲で踊られるものと思わせてくれます。

僕はコサック民謡は知りませんが、なんとなくこんなものという雰囲気を味あわせてくれます。

今夜10時半からNHK教育で吹奏楽の演奏を2つ放送します。
パリ・ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団と東京佼成ウインドオーケストラです。

音楽ブログランキングへ
                にほんブログ村 クラシックブログ 吹奏楽へ

2008年9月18日木曜日

ショスタコーヴィッチ/交響曲第1番

作曲家は第1曲目の交響曲を書くときどんな気持ちでとりかかるのだろうか?そんなことを思いながら、ショスタコーヴィッチの交響曲第1番を聞いた。
初めて聞く曲である。あえて調べない主義だから、何歳の時の作品かわからない。何歳の時であろうと、よく書けているなと思った。

1楽章の管楽器のソロから始まりいろいろと絡んでいく様は、「ホーッ」と思うほど新鮮だった。
それからショスタコーヴィッチはファゴットが好きなのかな、結構活躍している。他の木管楽器の見せ場が多いですね。

2楽章にピアノが登場してきてびっくり、よく考えるとプロコフィエフも使っているから驚くほどでもないか・・・4楽章もピアノが出てくるけど、ちょっとピアノ協奏曲っぽいな。

1,2楽章は、チャイコフスキーの後継者と思わせるところがあるが、3,4楽章は世界が違ってくる。3楽章は緩徐楽章、静謐さと独特な深い世界がある。好きだな!この音楽。はまってしまいそう。だが時折出てくる金管楽器のリズムとメロディには不安がかきたてられる。

4楽章になると現実に戻ってしまった。3楽章がずっと続けばなとないものねだりをしてみる。
この楽章はいろんな要素を組み込んで作った感じがする。随所に見せる圧巻の盛り上がりもすごい。
最初の交響曲からこんなのを作るなんて素晴らしいと思いました。

バーンスタインのBOXものからで、シカゴ交響楽団が演奏しています。
1,2,4楽章でのffの迫力はすさまじい。特に1,2楽章はffが少ないから余計に圧倒される。
木管楽器のうまさにも舌を巻く。
まとまりのない雑感を記しました。

音楽ブログランキングへ

2008年9月17日水曜日

ペトルーシュカ

itunrでダウンロードしたバーンスタイン/ショスタコーヴィチ & ストラヴィンスキーBOXから 「ペトルーシュカ」を聴きました。

1947年版によるもので、演奏はイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団 
録音は1982年4月 録音場所:テル・アヴィヴとなっています。

バーンスタインはあまり聞かないのと彼のストラヴィンスキーは初めてなので興味津々でした。
聞き終えての感想の一言は「楽しいね」。
この曲は結構好きなんですが、たくさんの演奏を聞いているとはいえません。でも、そのなかでは群を抜いた楽しさです。
素晴らしい演奏、リズムや音色の冴え、技術的な高さ、アンサンブルのうまさ等々の感想をもつものは他にありますが、「楽しい」という感想をこの曲にもったことがなかった。

リズムも表情も生き生きとしていて、勢いがある。それに何かが加わっている。何かはわかりませんが、それらが全体となって聞いているもの楽しませてくれる。そんな感じがします。

バーンスタインも楽しくて仕方がないんでしょうね。

音楽ブログランキングへ
           にほんブログ村 クラシックブログへ

2008年9月15日月曜日

詩が生まれる?

昨日の大縄跳びの結果や一昨日の稲木を見つけたときの気持ちを記事にしたが、他の人からすれば「それがどうしたの?」といわれるような、取るに足らないことだと思う。
それは、あくまでも僕の個人的なことで、日記につけるなら「自転車道から稲木を発見。久しぶりに見た。」「運動会。大縄跳びは2位」ぐらいのそっけない記述になる。

これを散文的にならず、臨場感を出してみたい。さらにその時の気持ちを正確かつ効果的に表現したい。

そうやって文章を練っていくと、説明調になったり間延びしてはいけない、「短く」「端的に」「テンポよく」「配列に気をつける」と考えている自分がいる。
ふと「ひょっとして、このような過程から詩が生まれるのか?」という考えが頭をよぎった。

小学校の国語で「詩」というものを習い、作ってみましょうと言われ作ったことを覚えている。それ以来「詩」とはなんとなくこんな感じのもので、「詩作」はそれに似せて作るものというものだと漠然と考えていた。
僕は詩を読まないし作らない。詩について考えたこともなかった。だから、詩はこのような過程を経て生まれるのだろうかと一つの考えが出てきたので、ちょっとびっくりしている。忘れないうちに記録しておこうと思いここに記す。

2008年9月14日日曜日

結果

大人の種目で午前最後が「大縄跳び」。集合場所で軽くストレッチをし始め、さあいよいよとなると軽く緊張しました。

競技開始、各地区一斉に飛び始めます。
「せ~の、・・・  ・・・  」

一回も跳べなかった。

跳んだ回数0、やばい。

2回跳んでの合計で順位を競う。2回目は1回目に少なかったところから。当然わが地区が最初に行う。
なんとか19回跳んだが・・・、他の地区が順々にやっていく。

 ・ ・ ・ 結果は2位。なんと低レベルの争いだった。

2008年9月13日土曜日

100の質問(6)

吹奏楽フェスティバルで演奏する曲を、3つのポイントで演奏をまとめようと思っています。団員の皆さんには3つの標語という形で示しました。
若干の説明をしましたが、うまくできませんでした。本番まで折にふれて言っていきたいと思います。


さて今日はしばらくご無沙汰にしていた、クラヲタに100の質問です。今日は82から99。

[いろいろ編]
Q82. お宅のオーディオ環境を教えてください。
 十数年前に勝った安物のCDラジカセ。 もっといい音で聞きた~い!

Q83. CD以外の音楽メディアとしては何をお持ちですか?
 DVDでオペラを数枚

Q84. CD・LP、楽譜、楽器以外に集めている音楽関連グッズって何かあります?
 ありません

Q85. ではここで一つ持ち物自慢をどうぞ!(誰それのサインを持ってるとか、幻のレコードを持ってるとか)
 ありません

Q86. 通勤通学時もクラシック聞いてます?
 パス
Q87. クラシックのMIDIについてどう思われますか?
 よくわかりません
Q88. あなたの知っているクラシック替え歌を教えてください。
 知りません

Q89. あなたの印象に残っている音楽マンガ・小説・映画を教えてください。
 サイモン・ラトルの「ベルリン・フィルと子どもたち」

Q90. 突然ですが、日本人であるあなたが西洋の伝統音楽であるクラシック音楽を聴くということに、何か疑問を感じたことはありますか?
 特にありません。僕にとってはごく自然なことです。
 小澤さんはこれに関して強烈な問題意識を持っていますね。

Q91. 学生時代(小中高大)の音楽の授業で印象に残っている出来事を教えてください。
 さあ、どうだろう・・・

Q92. では学校時代の音楽の成績、良かったですか?正直にお答えキボンヌ。
 小学校は並かそれ以下、中学は覚えていません。高校はよかったですよ。

Q93. クラヲタなのにやってしまったこっ恥ずかしいエピソード、あったらここでカミングアウトしてください。
 なし

Q94. それではクラヲタでよかったと思った体験はありますか?
Q95. 逆に最もひどかった体験は?
 クラヲタという言葉は今回の100の質問で初めて知りました。 まわりにクラシック好きがあまりいませんので、クラシックのことは話題にしません。

Q96. 尊敬するクラヲタいたらどんな人か教えてください。
 いません

Q97. 音楽がなくても生きていけますか、或いはその自信がありますか。
 それは絶対無理です。音楽がなければ生きていけません。 数日音楽を聞かなければ禁断症状が出て、一週間も聞かなかったら気が狂うんじゃないでしょうか。

Q98. 奥様(彼女)/旦那様(彼氏)から「あたしとクラシック音楽と、どっちがだいじなのっ!」と迫られたら、なんと答えますか?
 「同次元で比較できるものではない」と一蹴します。 と、言いつつも実際そうなったらどうしましょうね。

Q99. ズバリあなたにとってクラシック音楽とは何ですか?
 「全てです」と言ったらかっこいいのでしょうが、そうとも言い切れないですね。
 でも、僕にとってはなくてはならないものです。


明日は運動会。僕は地区の記録係をします。きょっぴさんの横で働かせていただきます。
明日は、夜元気だったら更新をします。

音楽ブログランキングへ
               にほんブログ村 クラシックブログへ

2008年9月12日金曜日

稲木


ここ数日いい天気が続いていますね。
澄みきった晴天と、じとっと汗ばむことのないさわやかさが好きです。

明日は近くの中学校で体育祭があります。そして日曜日は地区の運動会があります。
僕は例年の如く「大縄跳び」にでます。昨年もこのブログでぼやきましたが、日頃あまり体を動かさない僕にとって年々苦しくなってきます。
自分が縄に引っ掛かってチームに迷惑をかけたくないので(自分が恥ずかしい思いをしたくないのも多分にある)、毎年1週間ほど前から体を動かし運動会に備えます。
たいしたことはしませんよ、仕事の合間をみつけウォーキングやサイクリングなど軽めのものをするだけ。

幸い今週は天気がいいから気持ちがいい!一年中こんな天気だったらと思うほど。
気持ちよくでき、気分転換にもなっていうことなし。

ところで、昨日自転車道を走っていたら「稲木」を見つけました。
あまりにも珍しいのと懐かしさとで思わず写真を撮りました。
僕が子供の頃は、刈り取った稲は「稲木」にかけて干していたのです。今はみな機械がやってしまいますから、稲木を組んで稲を干すことはありません。当然、稲木は見かけなくなりました。

子供のころ稲刈りや稲木にかける作業も手伝わされたことを思い出し、懐かしくなりました。

2008年9月11日木曜日

アルメニア

あと少し続くコーカサス関連の話です。
コーカサス三国の一つにアルメニアがあります。
廣瀬陽子著「コーカサス 国際関係の十字路」によると、アルメニアは歴史的由緒のある国のようです。
P64~68から、3点だけ紹介します。
世界で初めてキリスト教を国教化した(AD301)国で、アルメニア教会が信仰されている。
 アルメニア教会については下記をクリックして下さい
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%82%A2%E6%AD%A3%E6%95%99%E4%BC%9A

アルメニア人は現在トルコ領にある「アララト山」を自分たちの故地だとし、非常に熱い思いを持っている。アララト山は、ノアの箱舟が漂着したされている山で、これを奪還したいという強い意思を持っている。

アルメニア人は「ディアスポラの民」として名高い。
「ディアスポラ」とは「散らされたもの」という意味で、通常は世界に離散しているユダヤ人のことをさすが、それ以外でも本国から離れて暮らす人々をさすことがある。在外アルメニア人もそれである。
有名なところではカラヤンとハチャトリアンがいる。

ここで僕の目が止まりました。なに!カラヤン?!カラヤンはアルメニア系なのかと。ギリシア系ではないのかと・・・
 カラヤンについては下記をクリックして下さい
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3


さて吹奏楽でいえば、アルフレッド・リードが作曲した「アルメニアン・ダンス」は吹奏楽の名曲中の名曲です。これについては後日書きます。

2008年9月10日水曜日

シベリウス/交響曲第2番

シベリウスの交響曲のスコアを見てみたい。
どんな和音の組み方をしているのか、音の組み合わせ方はどうやっているのだろうか。他の作曲家にないシベリウス独特の響きの謎解きがしてみたいという誘惑にかられるときがあります。

スコアを見ればオーケストレーションの仕方に種明かしの一つのヒントがあると思っています。
弦楽器群・木管楽器群・金管楽器群・打楽器群と分けた場合、僕が聞いた感じでは、4つの楽器群の重ねあわせを極力少なくしているような感じがします。
また管楽器群で音が作られているところでも、加わる楽器数をなるべく少なくして響きを作っているように思うのです。僕の思い込みかも知れない。そこを確かめてみたい。
ぱらぱらとスコアをめくっていくと、音符の数よりも休符が多いような、音を出している楽器よりも休んでいる楽器が多いような感じになっていないだろうか、と勝手に想像します。はたしてどうでしょう。

さて2番の交響曲、いい曲ですね。これをコリン・デイヴィス指揮のボストン交響楽団で聞きました。

このコンビが作り出すシベリウスの響きが大好きです。ずっとこの響きのなかに身を置いておきたいと思うほどです。
シベリウスのCDは少ししか持っていません。そのなかではデイヴィス/BSOの響きの世界が好きです。けれどもこれが全てだとは思っていません。他にも僕が知らない素晴らしいシベリウスの響きがあると思っています。それを知っていく楽しみがありますね。

交響曲第1番でのデイヴィスは熱かったですが、この2番でも熱いです。
バルビローリも熱いのですが、違う熱さですね。特に1楽章と4楽章の熱い盛り上がりが好きです。シベリウスへの共感がもたらすものでしょうか。ぐいぐいと引き込まれていきます。4楽章の弦楽器を歌わせて盛り上げていくところはいつも鳥肌ものです。

このコンビでの3番以降はどんな演奏をしてくれるのでしょうか。この秋じっくり聞いていこうと思います。

音楽ブログランキングへ
にほんブログ村 クラシックブログへ

2008年9月9日火曜日

ベルク/3つの管弦楽曲

時々思い出したように聞いている「カラヤン/新ウィーン楽派管弦楽曲集」より

ベルク/3つの管弦楽曲 作品6

1914~15年の作曲で、1929年改訂版。
第1楽章 : 前奏曲
第2楽章 : 輪舞
第3楽章 : 行進曲
となっている。

この曲は3枚組CDによって初めて知ったが、10年前や20年前に聞いていたら拒絶反応を起こしていたかもしれない。今は抵抗なく聞ける。いやそれよりすごくいいと思える。
これには理由がある。
吹奏楽のオリジナル作品に「3つの管弦楽曲」のいずれかの楽章に近い雰囲気の曲がそこそこあるのだ。だから初めての曲なんだけど、どっかで聞いたことあるなとか、何かの曲に似いているなと思いながら聞くことができた。

これをベルクの先進性と見るべきか、今の吹奏楽作曲家がベルクを研究し自分の作曲にいかしていると見るべきか、そこのところは僕にはわからない。

ここで仮の話だが、
僕がこの曲を知る前に、誰かが吹奏楽用に編曲し(原曲になるべく忠実に)、最高の演奏でCDを制作して、「吹奏楽オリジナル作品にこんなすごい曲があるよ」と言って聞かせてくれたら、素直に感動するだろうと思う。

いい曲だと思えたのは、オリジナル作品を聞いてきたこと以外にプロコフィエフやバルトークを聞いてきた蓄積があるからかもしれない・・・。まあ、いろいろと理由はあるかと思うが、要は今の僕にピタッとはまるというか、ググっとくる曲だったのだ。

演奏も録音も申し分ない。いい曲でも演奏が悪ければ心に響いてこない。カラヤンもさることながらベルリン・フィルが素晴らしい。

これではるか遠くにあったベルクが俄然近い存在になった。最近Shushiさんがベルクを取り上げておられるけれども「ルル」や「ヴォツェック」も聞いてみたいと思えるようになった。

音楽ブログランキングへ
                 にほんブログ村 クラシックブログへ

2008年9月8日月曜日

メンデルスゾーン/交響曲第4番

盆以降の夏らしくない気候に、夏らしい気分を味わってすっきり秋の気分になりたいと思って取り出した1枚です。

メンデルスゾーン/交響曲第4番「イタリア」

シャルル・ミュンシュ指揮のボストン交響楽団の演奏です。

1楽章冒頭の木管とそれに続くヴァイオリンの第1主題は切れ味鋭く熱い、この熱さが楽章全体に充満しています。聞いていて元気をもらいました。
メンデルスゾーンがイタリアから受けた印象がこの曲で、僕がイタリア旅行したら同じような印象を持つかなと想像すると楽しいですね。
イタリアは一度行ってみたい国です。特に塩野七生さんの著作を読んでから関心のある国になりました。

2楽章は、メロディの歌わせ方がいいなァ。演奏はオーケストレーションのシンプルさを生かしているような気がします。

3楽章はメヌエットでしょうか?よくわかりませんが、気持ちのいい音楽です。ときに靄がかかったような表現がありますが、いい雰囲気です。

4楽章は激しくもあり、情熱的な演奏。
1楽章にしろ、4楽章にしろ、音の塊がドーンと迫ってきます。録音によるのかミュンシュの音楽性なのかわかりませんが、この曲にふさわしいと思いました。

1957年10月28日の録音です。XRCD24シリーズの1枚、いい音です。

音楽ブログランキングへ
                   にほんブログ村 クラシックブログへ

2008年9月7日日曜日

なんとか・・・

ここ数日、梅雨に戻ったんではないかという気候ですね。
ちょっと体が重いです。

今朝は5時頃起きました。普通の休日なら熟睡タイムですが、今日はノソノソと起きTVのスイッチをON。負けてやしないだろうかと不安な気持ちでしたが、2-0で勝っていることを知ってひと安心。

ごめんなさい、サッカーの話です。ワールドカップアジア最終予選の初戦でバーレーンとの対戦。ここを落とすと非常に厳しいので、ここ数日気が気でありませんでした。

試合は後半30分を過ぎたあたりでした。しばらく見ていると3点目が入り、よっしゃこれで勝ったなと思ったのが甘かった。数分後に1点を返され、あれよあれよという間にオウンゴールで2点目を献上。そうなると僕の心臓がバクバクと打ち始めました。
なんとか逃げ切ってくれ、と思いながら画面をにらむこと数分。ロスタイム3分の表示に、ボールの行方とタイム表示を交互に見ながらの長い時間。
試合終了のホイッスルに、体の力が抜けました。

ほ~、なんとか勝ちましたね。

2008年9月6日土曜日

カスピ海ヨーグルト

コーカサス関連ですが、先日カスピ海ヨーグルトを買って食べてみました。
400gや500gのヨーグルトの平均価格より高いので簡単には手がでませんが、一回は食べてみようと思ったわけです。

日本のメーカーが製造しているのですが、「カスピ海ヨーグルトと同じ乳酸菌、クレモリス乳酸菌を使ったプレーンヨーグルト」とパックに書いてあります。
食感はきめの細かさを感じました。とろりとしている、なめらか、つるつるしていると表現していいかもしれません。
豆腐に木綿豆腐や絹ごし豆腐があるように、ヨーグルトにもそういうきめ細かさの違いがあると感じました。
味は、プレーンが苦手な人でも結構大丈夫だと思えるものでした。他の商品では酸っぱくてプレーンでは食べづらいものもありますから、そう思うとおいしいと言っていいかもしれません。

なんか堅苦しい商品説明みたいになりました(苦笑)
これじゃ、この文を読んで食べてみたいと思う人はいないでしょうね。


明日は吹奏楽フェスティバルへ向けた日曜練習です。
たった1曲に午後と夜の時間を使います。中学校や高校がコンクールに向けて課題曲や自由曲(自由曲のみの場合もある)をひたすら練習するのと同じような感覚かなと思っています。
僕の高校時代はコンクールというものは別世界の出来事でしたら、コンクール前の練習の経験がなく、どんなものかはわかりませんが、明日の練習はなんとなく近いものがあるのだろうと思っています。
わが吹奏楽団で、1曲にじっくり時間をかけるのはこの時期だけです。指揮者の力量もここで問われるわけです。

明日は3つの標語を掲げて練習しようかなと思っています。

音楽ブログランキングへ

2008年9月5日金曜日

2年前の「文藝春秋」

8月下旬に本や雑誌の整理をしていると、2年前の「文藝春秋」9月号が出てきました。パラパラと読んで、9月に入ってからのブログねたにしようと寝かせてありました。

9月号の目玉は「芥川賞発表」と「独占掲載 安倍晋三『闘う政治家』宣言」です。
目次を開けると安倍さんの記事のタイトルに「この国のために命を捨てる」とあります。2年前にはこんなに勇ましい文言が書いてあったのです。

僕は月刊誌は年に1冊買うか買わないかです。ではなぜ「文藝春秋」9月号を買ったか。「これがオシム流監督術だ」と「私だけが知る中田英寿の孤独」の2つの記事があったからです。
2年前のサッカー・ワールドカップの見るも無残な負け方と中田英寿の引退にショックを受け、しばらく引きずっていました。一方、日本代表監督に就任にしたイビチャ・オシム監督(当時)に非常な期待を寄せていました。タイミングよく出た2つの記事にふらふらと惹かれて買ってしまったわけです。

2年ぶりに読んだわけですが、オシム前監督と川淵三郎の対談記事に、今回の北京オリンピックの野球の無残な結果が重なって見えたのです。
その部分を引用します。

オシム  本当に日本のほうが力が上なのか、と客観的に見るべきです。悲観的になる必要はありません。現実的に考えるべきです。恐いのはそうしたマスコミの予想が、ファンだけでなく選手にも影響を与えることです。(P141)  (中略) 
 
(オーストラリア戦の惨敗と予選リーグ三連敗という結果にショックを受けたという言葉に対して)なぜショックを受けるのですか。それは日本人が覚悟していなかったからでしょう。  (中略)
  
ただ人を批判するよりも、あらゆる結果が起こりうるということを覚悟することのほうが先でしょう。  (中略)  

オーストリアに勝てるという雰囲気を作ったのも、メディアだと思います。日本は負けそうだと書いた新聞はほとんどなく、楽観論が多かったですからね。 (中略) ファンだけでなく選手たちもマスコミに影響されます。あの報道を見れば、自分たちのほうが強くて勝てそうだと思い込んでも無理はありません。選手たちだって新聞を読むと、自分たちの力を正しく見られなくなってしまうものです。 (中略) 

楽観的ではなく客観的な報道を心がけてほしいです。(P142~143)」

さて、これを読んでどう感じられるかは自由です。

僕はマスコミに乗せられて、苦しい戦いを勝ち抜いて金メダルをとると大いに期待していました。WBC初代チャンピオンになったという事実も期待に後押しをしていました。
盆休みと重なったことで、TVにかじりついて見ていました。こんなに真剣に野球を見るのは何年ぶりだろうか、しかも何試合も。負けた試合は見ました。準々決勝の最後のあたりと3位決定戦の最後の方は腹が立ってチャンネルを消しましたが・・・。
期待が大きかっただけに4位という結果には愕然としました。2年前のワールドカップの敗退と同じくらいのショックでした。

そしてオリンピックが終わって数日後だったと思いますが、ふと目についたのが2年前の「文藝春秋」だったのです。
週刊誌などの広告にある、手のひらを返したような「星野ジャパンたたき」を見て複雑な思いにかられる自分がそこにいますが、冷静になって(と自分で思い込んでいます)考えると、4位は実力通りの結果ではなかったかと思っています。
敗因の分析は野球に詳しい方のお任せします。


サッカーの話です。
明日はアジア最終予選の初戦、非常に厳しい戦いになると思いますが、なんとか勝ってほしいです。
僕はワールドカップ出場はかなり厳しいのではないかと悲観的になっています。

2008年9月4日木曜日

ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第1番

20代の一時期、弦楽四重奏曲をよく聞いたことがあった。そのなかにベートーヴェンのラズモフスキー3曲と後期の数曲があった。もう聞かないようになってどれくらいになるだろう。本当に久しぶりにベートーヴェンの弦楽四重奏曲を聞いた。

僕がブログをするようになり、他の方のブログも読むようになって、刺激を受けいろんな分野に興味を持つようになった。弦楽四重奏曲もその一つ。CD購入の際も愛読するいくつかのブログをを参考にしている。今回ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲は、多少迷いつつもズスケ・カルテットの全集を買うことにした。

CDが来て「さあ!」と気合入れて(?)第1番の1楽章を聞いたところ、あまりにも無愛想な冒頭のメロディーに出鼻をくじかれてしまった。
「そんなにぶっきらぼうなメロディにしなくても」とつっこみたくなるようなメロディだ。これが第1主題。このメロディ、何回か聞くと「皇帝」第1楽章第1主題の最初の1小節目のリズムに似ている感じがする。
だがいかにも短くぶつっと切れる。この無愛想きわまりないメロディだが1回聞くと耳に残うのが不思議だ。

1楽章は、この主題を展開するしていくが、それは「運命」の「ダダダダーン」という有名な主題を展開させて1つの楽章を作り上げていくの作曲技法を予見させるもののような気がする。

2楽章は1楽章を対照的に歌が綿々と続く。悲しみと憂いが心にしみてくる。 最後のあたり出てくる慟哭にも似た叫びには圧倒されてしまった。

3楽章のスケルツォはいかにもベートーヴェンとらしい。

4楽章では4つの楽器を対等に扱い、それぞれがよく表に出てくる箇所が印象的だった。

初めて聞く第1番だった。 この曲を何回聞いただろう。
ブログに1番から書いてやろうと決めたので、なんとか忍耐強く聞いものだ。10回は聞いただろう。そうじゃなかったら2,3回聞いてあとはケースにしまってそのままになっていたかもしれない。
おかげさまで、ようやくよさがわかってきた感じがする。
演奏はズスケ・カルテット。他の演奏で聞いたことがないのでなんともいえないが、いい演奏じゃないだろうかと思っている。
音楽ブログランキングへ

にほんブログ村 クラシックブログへ

2008年9月3日水曜日

モーツァルト/弦楽四重奏曲第19番

先日の続きです。
茂木健一郎、江村哲二著「音楽を『考える』」より
19ページに「モーツァルトの音楽は、とてもきちんとした印象で、楽理的にも完璧なものを数多く書いている。だけどそれだけじゃない、彼の心の奥底に住む何か、魔物を見て、この曲を書いてしまったような気がする。」とあります。
その数行後に前回引用した箇所がきます。

この曲とは、モーツァルト/弦楽四重奏曲第19番ハ長調 「不協和音」です。その1楽章冒頭のアダージョをについて書いているわけです。

じゃあ、僕にも「心の奥底の何か」とか「闇」を感じ取ることができるのだろうかと思って聞いてみました。ジュリアード弦楽四重奏団の演奏です。

「ん~」

駄目でしたね。何か不気味な感じがしますが、深い部分まで感じ取るには、はるか遠い感じがしました。
いろんなブログを読んでいて常々感じることですが、僕は音楽の表面的なことしか聞けていないと思っています。今回も感受性の鈍さを自覚させられたわけです。

モーツァルトの「哀しみ」もわかりません。「闇」もわかりません。それがわかる方々と感受性に質的な違いがあるんだろうなと思っています。

そういう深く鋭い感受性を身につける方法は?

学校の数学みたいにきちっとカリキュラムが組んであって、時間がかかっても一段一段登って行けばできるるようになっていく、そういうものではないと思っています。
でも僕が知らないだけで、いい方法があるかもしれません。

個人で音楽を楽しむには、どのレベルの感受性であろうと構わないと思います。
音楽が好きで、聞いて楽しむ。そこに満足と喜びがあればそれでいい。それ以上でもそれ以下でもないとシンプルに考えています。
だから、「別にいいんじゃない」と開き直り、乱聴ではあるがいろいろ聞いていけば、ある時「哀しみ」や「闇」を感じ取るようになるかもしれないと楽観的に構えています。
(感受性にレベルの高い低いがあるという言い方にやや違和感があります。技術やスポーツでのランキングと違うわけですから・・・、いい用語が思いつかないので仕方なく使っています)

けれども、吹奏楽団の指揮者という立場を考えれば、低いレベルではいけないだろうと思ったりもします。もっと深く音楽がわかり、感じ取ることができなければいけないと思うわけです。音楽的レベルの低い指揮者のもとで演奏しなければならないメンバーは不幸です。
(ちょっと過激だな・・・、でも正論だよな・・・)


さて、曲のほうですが
19番は久しぶりに聞きました。いい曲ですね!
やっぱりモーツァルトはいいなと思いました。

1楽章のアレグロに入っての第1主題は、アダージョとの対比がきいているのか、明るさが印象的です。
冒頭のアダージョはとってつけたような感じがします。(これは暴論ですね)

2楽章での演奏はくすんだ音色します。これがやや暗い、ややふさぎこんだような部分によくあっていると思いました。

3楽章も4楽章も気分いいですね!

このカルテットの特徴なのか、録音によるのかわかりませんが、ややくすんだような音がします。それが落ち着きある雰囲気を作っているような気もします。

音楽ブログランキングへ
                  にほんブログ村 クラシックブログへ

2008年9月1日月曜日

自分が傷ついていく

昨日はOBの練習がありました。
定演の時より新顔が増えました。新顔といってもよく知っている人たちです。定演には出ることはできなかったけれど、創立○十年記念音楽会には出演できるOBの方々です。
楽しく練習ができました。こうして一緒に演奏できる仲間が増えるのは嬉しいことです。


さて、今日のタイトルはちょっとびっくりするようなものをつけました。
昨日から『音楽を「考える」』(ちくまプリマー新書)という本を読んでいます。著者は茂木健一郎さんと江村哲二さん。江村さんは作曲家ですが、名前は初めて知りました。

17ページに「モーツァルトが抱えていた『闇』は創造の本質を物語る」という見出しがあり、そこでの二人の対談が載せてあります。そのなかに「自分が傷ついていく」という言葉があり、それを今日のタイトルに使ってみました。
その前後の文が興味深い内容なので引用します。

江村  作曲ということの一つには、自分の心の奥底にある、ある意味では決して開いてはいけない部分に、何かを探って切り裂いていく、そういう過程があるんです。 (中略) 
見たいんだけどみてしまったらだめで、全てが終わってしまうようなこと。ここでぎりぎり止めておくのか、それともあっちの世界に行っちゃうのか、その境界線のところが制作という行為の本質だと思います。自分の胸を切り裂いていくことに近いものがあります。 (中略)
自分が傷つくことをやっていながら、「傷ついている」ことそのものを表現してしまったらおもしろくともなんともない。その「傷ついていく」プロセスが何か新しいものを生み出すわけです。いわばぎりぎりの境界線上に位置しながら生み出し続ける。
モーツァルトの冒頭のアダージョは、そういった「闇」の部分をかいま見せている作品だと思います。」 (P21~22)

このアダージョというのは、弦楽四重奏曲第19番「不協和音」の1楽章冒頭部分のことです。

作曲というのは江村さんの言っている過程を通してなされるものであることを初めて知りましたが、作曲家って大変なんだなと思いました。裂け目の状態にじっと耐えながら音符を書き続ける・・・、僕だったら気が狂ってしまうでしょうね。

音楽ブログランキングへ
               にほんブログ村 クラシックブログへ