2008年5月31日土曜日

ななめ後ろから

5月25日(日)の全曲通し練習を録画したものを見た。

例年、本番数週間前に録音することにしている。チェックして、その後の練習で修正するためだ。
今年もTAさんにお願いしたところ、デジタル録画できる機械を持ち込んで来られた。そして録画(録音ではない)。次の日にはDVD-Rにやいて持ってきていただいた。

早速見てみた。

演奏のチェックよりも自分自身の指揮ぶりのチェックばかりしてしまう(苦笑)
ななめ後ろからの映像だが、なんて下手くそな指揮なんだろう・・・、まずさ加減を再認識した。
拍子だけしかとらないような指揮ではないか。しかもその拍子の取り方さえも変なところがある。

一番ガクっときたのは、音楽を表していないこと。
僕の師匠はカルロス・クライバーと小澤征爾。この2人の指揮は凄い!音楽をいっぱい表現しているのだ。少しでも近付きたい。あのような音楽を表せる指揮がしたいと思っているが、足元にも及ばない。足元どころが足元さえ見えていないところにいる。

あと2週間、家では踊りまくりの(?)日々になるかもしれない(苦笑)

明日も午後1時から10時までの練習だ、頑張ろう!

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2008年5月30日金曜日

プロコフィエフ/交響曲第5番

プロコフィエフは1891年生まれ、ショスタコーヴィッチは1906年生まれだから15歳違いである。
同じ交響曲第5番でも、プロコフィエフの方が早く作曲していたと思いこんでいたら、大違いだった。プロコフィエフの5番は1944年、53歳の時。ショスタコーヴィッチは1937年、31歳の時だ。

交響曲第5番シリーズを5月中に書こうと無謀な計画を立てたが、今日なんとか完結する。
作曲年順に並べたから、プロコフィエフが最後になる。当初はショスタコーヴィッチが最後だろうと思い込んでいたが、調べてみたら違うことがわかったわけだ。それから、他の作曲家の交響曲第5番もあるが、手元にあるCDのみ取り上げることにしたので、書いてない曲もある。悪しからずご了承ください。

独断と偏見でに書いてきたが、今日も好き勝手に書くとする。

聞いたCDは、指揮:ロストロポーヴィッチ 演奏:フランス国立管弦楽団
あまり話題にのぼらないCDのようだけど、僕はすごく気に入っている。
2楽章と4楽章のノリがいい。プロコフィエフ独特のノリのよさ、疾走感、ニューモア感覚が十分楽しめる。
もし、プロコフィエフが今の時代に生きて、吹奏楽の作品を書くと、無茶苦茶おもしろい曲を作ってくれるのではないだろうか。リズムの面白さやスピード感覚、迫力のあるサウンドなど、演奏していて楽しくって仕方がないと夢想する。

話はさらにそれるが、ショスタコーヴィッチ/交響曲第5番4楽章は吹奏楽に編曲されていて、わりと演奏されていると思う。それに対し、プロコフィエフの交響曲は吹奏楽編曲があるのだろうか?僕の知る範囲ではない。編曲があるのは「ロミオとジュリエット」ぐらいだろうか。

最後に、残響がたっぷりとられている録音が、演奏の魅力をさら増し加えている。このCDはTEさんに貸していただいたもの、残りの曲もロストロポーヴィッチ/フランス国立管弦楽団で聞いたみたいものだ。

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2008年5月28日水曜日

ショスタコーヴィッチ/交響曲第5番

ショスタコーヴィッチ/交響曲第5番二短調 作品47 「革命」
作曲は1937年、31歳のときです。

指揮:アンドレ・プレヴィン
演奏:シカゴ交響楽団

TEさんに貸していただいたCDです。何回か聞いているうちにショスタコーヴィッチに、わずかながらも慣れてきました。
指揮がプレヴィンなのがよかったかもしれない(?)と思っています。
それにしてもシカゴ響はうまいですね!パワーも凄い!

不謹慎ながら、3楽章はマーラーとバーバーの合体版。4楽章がマーラーとチャイコフスキーの交響曲第4番4楽章の合体版と思ってしまいました。ショスタコファンの皆さんごめんなさい。

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2008年5月27日火曜日

センス

『努力するにもセンスが必要なのだ』

センスが必要か・・・
野村克也著「エースの品格」を読んでいて、38ページのこのくだりでパタッと止まってしまった。
先を読もうと思うが、やはり「んーん、センスかー」と考え込んでしまった。

前後をそのまま引用します。
『「根気よく、粘り強く」などと口にするのは簡単だが、そうはいかない。人間は壁にぶつかると、都合のいい理由を見つけて自分を騙し、納得させ、あるいは逃避してその場をしのいでいくものだ。そこからはもはや努力は生まれない。

努力をしても結果が伴わなくことはいくらでもある。
しかし、努力するにもセンスが必要なのだ。センスは「感じる」「考える」ことで磨かれる。』

しばらくこの言葉を考える日が続きそうです。

さて、楽天は交流戦の調子がいいですね。このまま勝ち続けてくれるとおもしろいんだけどと思っています。
サッカーは今夜パラグアイ戦があります。

2008年5月24日土曜日

先日、小学校の近くを通りかかったら運動会の練習をしていました。
「そうそう、土日は運動会があるんだ」と再確認しました。

ところが今日は雨です。中止になったのでしょうか。そうなると明日に延期ですが、明日は我が吹奏楽団の練習日です。運動会に関わる団員がそこそこいるので、すごく気になります。
天気予報をみると、明日の午前中は弱雨、午後から曇りとなっています。どうなるんでしょう・・・

本番まであと3週間、練習にたくさん集まってもらうには、明日は雨に降ってもらわなくてはいけませんね。

2008年5月23日金曜日

シベリウス/交響曲第5番

「ひたっていたい」

5番の交響曲を聞いていて、ふと思う。音の流れに、響きの中にひたっていたいと。

シベリウスには独特な響きの世界があると思う。
とはいっても、昨秋交響曲全集を購入して、やっと全曲聞いたが、それまでは交響曲は1,2,5,7番と管弦楽曲のわずかしか知らなかった。その程度だから、偉そうなことは言えない。ほんとに素朴な感想だ。

響きの中にひたっていたと思わせる作曲家は?と自問したところ、ぱっと思いつくのは、シベリウスとブルックナーかな ・ ・ ・  別の作曲家でも個別の作品だったら、いろいろあるだろうなと思う。
ブルックナーはどっぷりひたらせてくれるが、シベリウスはひたらせてくれるところと、音楽が展開していくためそうではないところがある。大雑把にそんな違いがあるような気がする。

演奏に関していうと、響きの作り方で聞く方の印象は大きく変わると思う。
20年は前になるだろうか、第1番がFMで放送されたのでカセットテープに録音してよく聞いた。コリン・デイヴィス/ボストン響の演奏によるものと、昨秋購入したのはバルビローリ/ハレ管によるものの違いは大きかった。前者は涼感のある響き、後者は熱い演奏(熱い響きとはいえないので、演奏という言葉を使います。バルビローリの作りだす響きをうまく形容する言葉が見当たりません、すみません)。
クラシックCDをいろいろ買う楽しみの一つは、演奏の違いにあると思っている。いろんなタイプの演奏があり、それを聞くのが好き。また聞き比べも楽しい。ところが、デイヴィス盤とバルビローリ番はタイプの違い以上のものがあった。ギャップと言っていいかもしれない。


さて、交響曲第5番 変ホ長調 作品82は、1915年生誕50周年記念祝賀用に書かれた。 秋に完成され、予定されていた12月8日(シベリウスの誕生日)のコンサートには間に合わせることができたとある。
シベリウスの交響曲中で、今のところ5番が一番好き。
ブログに書くのに5回以上聞いているが、ますます好きになっていく。
音の流れに身をひたして「幸せだな~」と。

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2008年5月21日水曜日

アダージェット

一日あいてしまいましたが、マーラー/交響曲第5番 嬰ハ短調 の続きです。
作曲は1902年、マーラー42歳のときです。

今日は4楽章のアダージェットのことだけ書きます。他の楽章は次回いつになるかわかりませんが、その時に書きます。

ヘ長調4分の4拍子。
楽器編成は弦楽器とハープで、管楽器と打楽器はなし。
「美しい」と言えば、かえって味気なくなるこの音楽には、弦とハープ以外に付け加えるものはないと思う。管楽器をいれたら魅力をそこなう気がするし、打楽器はもう問題外だ。

だけどハープは絶対不可欠だ。ハープなしには、この楽章は考えられない。

ハープの楽譜を見ると、分散和音でほとんどが8分音符で書かれている。8分音符3つの3連符もある。もし、僕がハープを習い始めたら数か月でできると甘く考えてしまうほど、見た目は簡単だ。
しかし、シンプルだが深い音を奏でるハープがなかったら ・ ・ ・
弦楽合奏のみで演奏した時、美しさと深さが表現できるだろうかと思う。

曲はヴィオラとチェロのハーモニーにハープの響き、ついでヴァイオリンが主題となるメロディを奏でて始まる。主となる旋律は、第2ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロを自在に移り変わりつつ、曲は流れていく。

全体は3つの部分からなっていて、便宜的にABA’とすると、中間部のBには、ハープは用いられていない。ヴァイオリンが高音域で切々とメロディを歌うのである。
AとA’でヴァイオリンは低音域から中音域を使い、Bでは高音域が使われている。
曲想の変化、ヴァイオリンの音域の違い、ハープ使用の有無など、絶妙の組み合わせだと思う。

BからA’の移り変わり、ヴァイオリンがメロディを歌い終わり、弦のハーモニーのなかハープが奏でるところは、たまらなく好き。ほっとした気分になると同時にえもいわれぬ気持ちになるのだ。

曲の最後も言うことなし。低弦の動きと和音の進行、作曲理論も和声法もなにも知らないが、すごいと思う。


ここ数日聴いているのは、カラヤン/ベルリン・フィルの演奏。いくつかのブログで紹介されているのを読み、このCDを購入することに決めました。
一番印象的なのは、中間部のヴァイオリンの響き。ホール全体に広がって、どこか遠くから聞こえてくるようであり、同時にホール全体を包んでいるような感じを受けました。

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2008年5月19日月曜日

マーラー/交響曲第5番

映画「べニスに死す」(ルキノ・ヴィスコンティ監督、原作はドイツの作家トーマス・マンの同名小説)を見たのは、 高校生の時(?)だったと思う。

主人公の作曲家エッシェンバッハ(マーラーをモデルにしているらしい)、タッジオという美少年、ヴェニスの町と浜辺、そして映画全編にわたって流れるマーラーの交響曲第5番4楽章のアダージェット。

今でもいくつかのシーンを覚えているが、これらひとつでも欠けると映画として成り立たない。特にアダージェットが他の音楽に代わるのは、あり得ない話だ。

僕にとってこの映画は何なんだろう?
「感動した」と単純に言えない。ただ、心の中の深いところに刻み込まれたのは間違いない。
これまで3回は観ている(はず・・・)が、何度でも観たい。そのたびごとに何かが深く刻まれていくような気がする。


映画「ベニスに死す」が、僕にとってマーラーとの出会いになった。(記憶に間違いなければ・・・)勿論5番の交響曲ともそうである。
ただし、全曲聴くのは数年後、大学の時(だと思うが)にレコードで買った、テンシュテット/ロンドン・フィルの演奏によってだ。これは今でも僕のスタンダードになっている。

マーラーは、あまり聞かない作曲家だ。交響曲でも全く聞いたことがないものがあるし、数回聞いただけで、もう一度聞きたいと思わないものもある。
しかし、ここ数年マーラーのCDは微増傾向にある。購入CD全体に占めるマーラーの割合は、以前と比べると格段にアップした。つまり、好みがはっきり分かれているわけだ。
そんな中にあって、5番のCDはダントツの所有枚数を誇る。

  7枚

どんなお気に入りの曲でも、せいぜい2~3枚しか持っていないことを考えると、異常な数である。
(いろんなブログを拝見していて、1曲に10枚も20枚も持っておられる方から見ると、なにを大袈裟なことを言っていると笑われるでしょう)

よくぞこれだけあるなと思う。
さて、書きだすと止まらなくなりそうです。続きは明日ということで。

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2008年5月17日土曜日

チャイコフスキー/交響曲第5番

チャイコフスキー/交響曲第5番ホ短調 作品64

作曲は1988年(作曲者48歳の時)、スコア(全音楽譜出版社)の解説(園部四郎)によると(多少文章表現を変えて引用します)
5番の交響曲の内容を考えると、1988年春から初夏にかけて、ロシアの田園生活(閑静でのどかな村だったようだ)のなかで書き上げられたことを念頭に置く必要がある。

また、この曲の標題的構想をチャイコフスキーは次のように述べているようだ。
第1楽章の序奏部には「運命、または神の摂理の探求しがたい設計といったものにたいする完全な服従」をえがこうとした。
Allegroの二つの主題には、1)「疑い、訴え、非難」と 2)「信仰の抱擁のなかに身をなかに身を投げ出さないのか!!」という衝動をえがこうとした。
第2楽章の草稿では、からかうような「光明の光線」と「いや、希望はない」という威嚇的な運命のコントラストが考えられていた。

このようなことを考えると、この交響曲の重要な特徴が「運命の主題」におかれていることがはっきりする。
事実、この運命の動機は、4つの楽章にわたってライトモチーフの役割を演じているのである。


さて僕の唯一のCDは
指揮:ムラヴィンスキー
演奏:レニングラード・フィル

定評のある名演奏で、いろんな本、雑誌、ブログで取り上げられているので、僕がこれ以上なにを語るのかという感じです。

あえてひねくれて、一つだけケチをつけさせて下さい。
トランペットの音、どうにかならないだろうか。あのペチャンコの音だけは好きになれない。
もし、中学や高校で吹奏楽部の顧問をしていて、トランペットを吹いている子に「理想の音」という内容でCD1枚にまとめて編集することになったとする。最後に「こういう音にならないようにしましょう」と注釈をつけて、レニングラード・フィルのトランペットの音を入れるだろう。

一方、2楽章のホルンのソロでの甘い音色と歌わせ方は好き。

3楽章はワルツになっています。スケルツォが一般的だけど、当時ワルツは大衆性を持っていたこととチャイコフスキー自身も好きだったようです。
僕は「くるみわり人形」などのバレエ音楽のことを考えると、なんの違和感もなく、むしろその方がしっくりきます。

最後に、スコアを見ていて感じるのは、強弱に関する指示が多いこと。ものすごく細かいです。
演奏側にとって、助かる面と音量の微妙なさじ加減を要求されて逆に難しくなる面もあると思いました。

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2008年5月16日金曜日

五番街のマリー

高橋真梨子が好きというのは、以前の記事に書きました。

彼女の歌に「五番街のマリー」という歌があります。
これは1973(昭和48)年、ペドロ&カプリシャスの大ヒット曲です。当時のボーカルは高橋真梨子です。
以下は歌詞です。

  五番街へ行ったならば マリーの家へ行き
  どんなくらし しているのか 見てきてほしい
  五番街は古い町で
  昔からの人が   きっと住んで いると思う
  たずねてほしい

  マリーという娘と 遠い昔に暮らし
  悲しい思いをさせた それだけが気がかり
  五番街でうわさを聞いて もしも嫁に行って
  今がとてもしあわせなら 寄らずにほしい

  五番街へ行ったならば マリーの家へ行き
  どんなくらし しているのか
  見てきてほしい
  五番街で住んだ頃は 長い髪をしてた
  可愛いマリー 今はどうか
  知らせてほしい

  マリーという娘と 遠い昔に暮らし
  悲しい思いをさせた それだけが気がかり
  五番街は近いけれど とても遠いところ
  悪いけれどそんな思い 察してほしい


カラオケに行って高橋真梨子の歌ばかり5曲歌うたとしたら、たぶん入ると思います。10曲歌うなら必ず入る曲です。
メロディも歌詞も好きですが、特に最後の二行「五番街は近いけれど とても遠いところ  悪いけれどそんな思い 察してほしい」 には、何か胸を締め付けられるものがあります。

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2008年5月15日木曜日

ブルックナー/交響曲第5番

僕はブルックナーが好き。だけどここ5年、10年あまり聞いていない。大学生のころが一番聞いていたと思う。
ここ数年では7番をよく聞く。ほとんど7番といってもいい。
5番は縁遠くて10年以上聞いていないかもしれない。なんとなくとっつきにくいのだ。
今回久しぶりに取り出してきた。唯一持っているCDで、

ロブロ・フォン・マタチッチの指揮
チェコ・フィルの演奏だ

マタチッチはブルックナーを「おもしろく」聞かせてくれる。こんなことを書くとマタチッチファンやブルックナーファンからお叱りを頂戴するかもしれない。
一つ一つのフレーズの輪郭や性格をはっきりさせていることと音楽の展開がたくみなのだと思う。本当に久しぶりに聞いたが70分を飽きさせずに聞かせてくれた。豪快さも魅力である。
あんまり良かったのでもう1回聞いてしまった。

交響曲第5番変ロ長調の作曲は1878年、作曲者53歳(誕生日がきていなかったら52歳)の時。
曲中、僕のお気に入りは
1楽章の序奏。低弦のピチカートのあと、ヴィオラ、第2ヴァイオリン、第1ヴァイオリンの順に音が重なっていき、清澄な雰囲気を作っていくところ。
2楽章の第2主題、ヴァイオリンを中心にたっぷり歌いあげるところ。

久しぶりに聞けたのはブログのおかげです(笑)

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2008年5月14日水曜日

あと1ヶ月

「ジューン・コンサート」が1ヶ月後に迫りました。

正式名称がありますが、このブログ用に「ジューン・コンサート」と名をつけています。

6月14日(土)午後6時半開演です。

毎年のことながら、演奏のことや演出のこと。いろいろな準備などまだまだ不十分なところがありますが、少しでもいい演奏会になるように、何よりも来ていただくお客さんに楽しんでいただけるようにと頑張っています。

2008年5月13日火曜日

メンデルスゾーン/交響曲第5番

TAさんにお借りしているXRCD24シリーズより

メンデルスゾーン/交響曲第5番二短調作品107「宗教改革」
 指揮:シャルル・ミュンシュ
 演奏:ボストン交響楽団

初めてこの曲を聞いた。メンデルスゾーンの曲はほとんど聞かないので、TAさんに感謝です。
一切の予備知識なしで聞き始めた、1楽章開始2分ほどで、金管のファンファーレの後に出てきた弦楽器の美しい響き。
聞き覚えのある旋律 ・ ・ ・  「パルシファル?!」と思わず言ってしまった。
再び金管のファンファーレの後、同じメロディが繰り返される。
間違いない、ワーグナーの舞台神聖祭典劇「パルシファル」第1幕への前奏曲39~41小節目や56~59小節目に出てくるメロディーだ。(多少の違いがあるが、同じであるとみなしていいと思う)
次の瞬間に「パクリか? ・ ・ ・  いや、違う。メンデルスゾーンの方が早い時代を生きているのだから」と、音楽そっちのけで頭の中がぐるぐる回る。
そこでライナーノートを見ると
『ドレスデンの宮廷教会堂で用いられた「アーメン」の旋律 - ワーグナーは「パルシファル」の主要動機に使用した - 』
とある。これで納得した。

ちなみに僕はこのメロディは大好きで、天上にのぼるかと思えるほどだ。
そして「パルシファル」も大好き。

さて、この曲は1830年(作曲者21歳のとき)の宗教改革300年祭の為に作曲された。
前年の1829年には、バッハ没後はじめて「マタイ受難曲」がメンデルスゾーンの指揮で演奏されたが、内面でなんらかの関係があるかもしれない。
宗教改革といえばルターだが、彼の作ったコラールが4楽章で用いられている。

以下、簡単な感想を
1楽章 厳粛でシリアスな感じ。宗教弾圧との戦いを表すのか?
2楽章 明るく、生き生きしている。僕のイメージにあるメンデルスゾーンらしさがある。
3楽章 しっとりと聞かせてくれり旋律が流れる。「美しいメロディを作ってくれてありがとう」と言いたくなる。
4楽章 厳格な部分もあるが、全体として喜ばしさや勝利を表しているような気がする。

演奏に関しては他に比較するのもがないが、相当いい演奏ではないかと思っている。
録音も1957年にしては抜群のものだと思う。

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2008年5月10日土曜日

しばざくら



先日、ちょっとドライヴして撮ってきました。

今日は午後、母校に行ってきます。定演(8月)でOB合同演奏する曲を練習します。
曲は「M」です。毎年やっているシリーズもので4、5年前もやったことがあります。僕はこの曲が大好きで、高校生の方から演奏したいという希望があったとき、二つ返事でOKしました。
まさかもう一度できると思っていなかったので、嬉しくて仕方ありません。
今日は高校生のみの練習ですが、7月以降はOBとの合同練習になります。

明日は午前中、地区のソフトボール大会。レクリエーションが目的の気軽な催しです。そのあとは清掃作業。午後から夜10時まで、ジューンコンサートに向けた練習です。ハードな一日になります。

2008年5月8日木曜日

シューベルト/交響曲第5番

シューベルトの交響曲第5番変ロ長調を
イシュトバン・ケルテスが指揮したウィーン・フィルの演奏を聞いたのが、高校か大学の時。朝8時か9時から放送していたFM-NHKでした。

木管の和音の後、ヴァイオリンがひらひらと舞い降りてきて第1主題を歌う。
その軽やかさと優美さが、僕の心を完全にとらえてしまいました。
いつでも頭の中で再生できるほど記憶に残っています。(それ以降の部分は全く記憶にありませんが・・・)

5番の交響曲は常に頭の片隅にあって、いつかCDがほしいなと思っていました。これまで数種類聞きましたが、僕を満足させるものがなく、もしCDを買うならケルテス盤にしようと決めました。
昨秋HMVでたまたま見ていた時に、ケルテス/ウィーン・フィルによるシューベルト交響曲全集が輸入盤で出ているのを見つけた時は、嬉しくって嬉しくって、もう躊躇なく注文をしました。

荷物が届くと、早速聞きました。
流れ出した音楽に「 ・ ・ ・ ちょっと違うな ・ ・ ・ 」
確かに軽やかだが、何か違う・・・

もう○○年聞いていないわけで、演奏の正確な記憶はなく、美化作用が起こって、頭の中だけの理想の音楽を作り上げてしまったようです。
そことのギャップがあったのだと思います。2回目以降は違和感がだんだん少なくなっています。

ここで、こだわりの冒頭1分間の聞きくらべ
・ コリン・デイヴィス盤  テンポは同じくらい、あっさりといってしまうが、爽やかさがあってイイと思う
・ ワルター盤  ゆっくりとしたテンポで、慈しんで歌っている感じ。このしっとり感もいいなと思う
・ ベーム盤  テンポはワルターと同じくらい。なんか平凡だなと思ってしまった

ということで、やっぱりケルテスが一番いいな!
チャーミングさがこの曲にあうと思う。
1楽章の続き、2~4楽章もいい演奏ですよ。

ちなみに作曲は1816年、シューベルト19歳の時。
19歳でこんな曲書くなんて、すごいね!

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2008年5月7日水曜日

ベートーヴェン/交響曲第5番

TAさんにお借りしているCDより

ベートーヴェン/交響曲第5番ハ短調作品67
指揮:シャルル・ミュンシュ
演奏:ボストン交響楽団

この記事を書くのに数日迷いました。
なぜなら、ブログを始めてまだ1年になりませんが、いろんな方のブログを読ませていただいて、自分の文章なり音楽の捉え方がいかに表面的なものかと思い知らされています。そこへお前は名曲中の名曲を書くのかと自問自答したわけです。
でもブログは匿名性があるので、恥をかいてもいいやという安直さと、ある無謀な企画を考えたので、一番大変なものを最初にもってきた方が続けやすいという2つの理由で書くことにしました。

さて、「運命」といったほうがよくわかる5番の交響曲。
初演は1808年、ベートーヴェン38歳の時。

200年前の曲なんですね。
この当時の人は、初めて聞いた時どのように感じたのだろうか?と勝手な想像をめぐらしてみました。(初演の時の様子がどうであったかというのは、調べればわかるんでしょうが、面倒なのでしていません。)

冒頭に出てくる「ダダダダーン」には、かなりビックリしたんではないかと思います。
ハイドンの交響曲(ほとんど知らないのですが・・・)やモーツァルトの交響曲(20番以降はほとんど知っています)、ベートーヴェンの4番までの交響曲にこのような始まり方をしたものがないからです。(3番「英雄」はやや例外かもしれない) 
みんなロマン派以降にない優雅さがあります。そういう曲になじんだ人たちの耳に、いきなり「ダダダダーン」と雷のような、嵐のような音が鳴り響いたからです。

そして、1楽章を聞いて奇異に思ったのではないでかと思います。
「ダダダダーン、ダダダダーン」は、はたしてメロディといえるだろうか?
「ミミミドー、レレレシー」とたった4つの音でできています。当時の人の感覚では到底メロディと認めることのできる代物ではなかったと独断で思っています。
曲解説を読むと「動機」という言葉で、この4つの音を捉えています。その当時「動機」という』概念があったかどうか知りませんが・・・

それはさておき、この動機でもって(特にリズムを使って)第1楽章のほとんどできていて、メロディといえるのは第2主題とあとわずかです。
以前の交響曲は2つの主題以外も歌に溢れています。その常識を破った革新的な、いや革命的と言っていいかもしれない曲だったと思うのです。
でも初演当時の耳にはどう聞こえたのでしょうか?ちょっとだけ想像してみました。

ミュンシュ/ボストン響の演奏ですが、恰幅のあるもので、いい音楽をきいたという満足感があります。

録音は1955年となっています。xrcd24シリーズの1枚だが同時代のものに比べ抜群に音がいいです。

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2008年5月5日月曜日

東山魁夷

昨夜のTVに、東山魁夷生誕100年を記念した番組が放映されていた。

かなり前のことであるが、一度だけ「東山魁夷展」を見に行ったことがある。
奈良の唐招提寺御影堂障壁画完成後で、これが展示されていたと思う。

その時に印象をおぼろげながらにもたどると、「幽玄」という言葉が思い出されてきた。
圧倒的な迫力で見る者に迫るのでもなく、釘づけにして引き込むのでもない。ほどよい距離感を保ちながら、見る者の心にしみわたってくる絵だったように思う。

東山魁夷の絵を見ていると、まさに日本人で日本の風土を描いた画家だと思う。
それは昨年10月23日の拙ブログ「水蒸気の風土」に引用した司馬遼太郎の文が、僕の頭の中にあるからだ。

以下10月23日の文より引用
『 これを受けて司馬遼太郎は書いている。「日本の山も島も、スポンジのようにたっぷり水気をふくみ、旺盛な樹叢が、根という網の袋でその水を抱きこんでいる、(途中略) 山や島は湯気だつように呼気してその上に雲をつくっているのである。ときに靄や霧が地を這う。里も村も、おのれの形象や色彩を明晰にするよりも、むしろ陰翳でもってみずからを語ろうとする。日本史は、水の豊富さということを外しては成立しない。同時に、日本における感覚の歴史も、この島の世々が水蒸気につつまれて過ぎてきたということが決定的なものになっている」『司馬遼太郎が考えたこと 10』より「水蒸気の風土」(P174~176)、「三岸節子展に寄せて」(P221~223)から引用し、独断と偏見で文をつなぎ合わせました。』

空気の乾いた風土では生まれなかった絵だと思うのです。

2008年5月4日日曜日

Sまつり

今日のSまつりでの演奏は、風との戦いでした。

晴天で気持ちよかったのですが、風の強さにはまいりました。
行楽で来られているかたには、気持ちのいい風だったと思います。

演奏する側にすれば、涼風とはいえず、譜面台が倒れそうになったり、楽譜がめくれたり、時には飛ばされることもありました。
フルートさんによると、管に吹き込む息が向かい風に押し戻され、十分な息が入らないため、音が出ないことがあったそうです。(リハの時、ソロの場面でちょうど風が吹き、譜面台は倒れかかるは、音は出ないはで、大変でした)

指揮する側は、そんな苦労はないだろうと思われるかもしれませんが、一つ大変なことがあります。
スコアが飛ばされないように、片手でずっと押さえておかなければならないことです。そしてページをめくる時に注意してめくらなければなりません。下手をするとバタバタととばされてしまうのです。

何がかというと、スコアのページです。
僕の場合、スコアをコピーした1枚1枚を扇子状になるように、テープで貼っていきます。(糊づけして製本に近い形にはしていません) だから、ばっと広げると5メートルを超すこともあります。曲によっては10メートルぐらいいく曲があるかもしれません。

そのようにしているので、メージをめくる時に風が吹き付けると、めくり終わったページ側がばたばたととばされるのです。鯉のぼりか凧のように。
今日はリハも含めると5回以上ありました。(ふ~)

こういう経験を積んでくると、ちょっとした事には動じなくなります(笑)

2008年5月3日土曜日

山はまだら

山がまだら模様になるのは、年2回あると思っています。

秋、紅葉の頃と新緑が初々しい今の時季です。

冬の間どよんとした深緑をしていた木々が、春になって生気を取り戻してきます。
その中に、神々しいばかりの白色のうすい半透明な膜をかぶった新緑が、元気いっぱいに立っていて、まだらをなしています。

どの山も同じまだらでないのがおもしろいです。

2008年5月2日金曜日

ボレロ

ラベルの「ボレロ」
今のところ、これほど不思議な曲はないと思っている。

1. 最初から最後まで同じリズムが続く
2. 音量に起伏がない
3. メロディは2つだけ
4. 伴奏に変化がない

1について、小太鼓奏者にとっては、14~15分たたき続けるのは大変だと、勝手に想像しています。

2について、fになったりpになったりという音量の変化がない。ppから始まり少しずつ、本当に少しずつ音量を上げていき、最後にffになる。1曲全体がクレッシェンドでできている。

3について、2つのメロディが規則正しくA→A→B→B→A→A→B→B・・・と繰り返されるだけ。

4について、低音パートはほとんど同じリズムと音型をひたすら繰り返すだけ。「管楽器および弦楽器の低音パートの皆様、延々と御苦労さまです。でもあなた方の支えのおかげてこの曲が成り立っています。」と言いたくなる。

これだけ書けば、単調な曲ですぐ飽きてしまいそうになると思う。
それが違うんだな。(これは皆さんがご存知のことです)
何度聞いても飽きがこないし、曲としての魅力もあせることがない。

なぜだろう?考えれば考えるほど不思議な曲だと思う。


先日読んだ本の中に一つの解答がありました。
みつとみ俊郎『オーケストラの秘密』P135より

「ボレロは、本当に人を興奮させる要素をたくさん持っている。テンポもだいたい90前後で人間の脈拍のテンポをほぼ同じ(だから人はこのテンポにハマってしまう)。
そして単純なメロディのくり返し(人間は単純なリズムのくり返してハイな状態になりやすいことは、ロックやダンス音楽を聴けばよくわかる)でどんどん音量を増していくアレンジはオーケストラならではの楽しさと魅力がたくさん詰まっている。」

脈拍に近いテンポと単純なリズムのくり返し、なるほどそうかと思いました。でも謎は全部解けたわけではありません。まだまだ謎に満ちています。まあ、思い出した時にぼちぼち考えていきます。

TAさんから貸していただいたCDで、マゼール/フランス国立管弦楽団を聞いています。
この演奏は初めて聞きますが、管楽器のソロを出色です。ただ上手いだけではありません。味があるというか、えも言われぬ雰囲気があります。

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2008年5月1日木曜日

モーツァルト/ハフナー・セレナード



近くの自転車道で撮りました。自転車に乗っていて、あまりの咲きっぷりのよさにひかれました。携帯電話で撮ったので、平凡に見えてしまうのが残念です。
今は花が美しく咲くのがたくさん見ることができるいい時季です。


さて「ハフナー・セレナード」を
指揮:ジャン=フランソワ・パイヤール
演奏:パイヤール室内管弦楽団
で聞きました。

パイヤールの演奏を初めて聞いたのは、中学か高校の時。NHK-FMの朝8時か9時から始まる番組の始めと終わりにながれていた「パッヘルベルのカノン」。その時はパイヤールのものとは知らなかった。いつだったか友人がバロック名曲集(パイヤール盤)を聞かせてくれて、曲名と演奏者の両方を知ることになる。

フランス人のパイヤールと、フランスの室内オーケストラであるパイヤール室内管とモーツァルトの三者は幸福な出会いだと思っている。
彼らの演奏によるバッハやフランスバロックの作曲家も素晴らしいが、モーツァルトをやるのが僕は最高の組み合わせだと思っている。
ドイツ、オーストリア、イギリスの指揮者やオーケストラによるモーツァルトも好き。名演奏も数々ある。
だけど、パイヤールによるモーツァルトは、僕の中では別格の存在感をもっている。

彼らの演奏を形容するのに適切な言葉を知らない。
なんていうんだろう・・・、独特の軽みと優美さ。品のよさ、気品があると言っていいかもしれない。

聴いていて幸せな気分になるのです。

このCDは我が吹奏楽団のTAさんから「しばらくの間どうぞ」と言って貸していただきました。
ビクターのXRCD24のシリーズからの1枚です。我が家のおんぼろCDラジカセで再生しても「いい音」がしているような気がします。
同シリーズのCDがそこそこの枚数あります。全部聴いて早く返さなくてはならないので、聴いたらブログにアップする予定です。

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