2008年3月12日水曜日

彫像のように

茂木健一郎「すべては音楽から生まれる」P117より

「指揮者の大野和士さんは、次のようにおっしゃっていた。
『理想の指揮者は、彫像のように指揮台に立っているだけで、オーケストラの奏でる音楽を変えることができる』
究極の指揮者は、棒を振らない。ただ、そこにいるだけで、感化作用があるのだ。」

この言葉が真実なら、残念なら僕の理解を超えた境地だ。
今の僕には、「本当にそうなのか?」と思わざるを得ない。

以前、エッシェンバッハの「目で指揮をする」ことをこのブログで書いたが、そのことを思い出した。
実際にエッシェンバッハが指揮したパリ管の演奏会で、「ボレロ」を聞いたO君は「圧巻だった」と言っていた。
TVでも放映していたが、指揮台に直立不動で立って、最後以外は腕を動かさず、ほとんど目だけの動きだった。顔の表情の変化もほとんどなしだ。

つまり大野さんの言葉通りのことをしていることになる。
実際にあったわけだ。
だが、これを自分に置き換えてみると、到底そんなレベルに達していない。はるかかなたの境地で実感が伴わない。
いつか百分の一でも実感できるようになりたいと思う。


話はそれるが、
TVで放映していたエッシェンバッハ/パリ管弦楽団は、2007年NHK音楽祭のひとつとして行われた演奏会。
パリ初演のバレエ音楽というテーマで「火の鳥」「マ・メール・ロア」「ラ・ヴァルス」「ボレロ」をしていた。

なんと魅力的なプログラムだろう!

ブラウン管を通してもパリ管の素晴らしい音、そう「カラフルな音」を堪能できた。

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2008年3月11日火曜日

プッチーニ/蝶々夫人

最近はオペラをよく聞いている。

今日はプッチーニの「蝶々夫人」
長崎を舞台にしたオペラだ。

全曲は初めてで、聞いたことあるメロディは、アメリカ国歌(何度も出てくる)とアリア「ある晴れた日に」ぐらい。しかし、メロディは情感に訴えてくるものが多く、聞いていると知らず知らずに引き込まれていく。
プッチーニは各場面の情景描写ではなく、劇としての雰囲気や登場人物の感情表現がうまい作曲家だと思った。

演奏は、カラヤン/スカラ座管、マリア・カラス(S)その他

残念なのはモノラル録音(1955年)であること。
贅沢をいうべきでないと思いつつ、音に対する不満が最後までついて回った。耳慣れてしまえば、そうでもないんだろうが、数回聞いてもやっぱり駄目だった。
プッチーニには「オーケストラの雄弁さ」が重要だと思っている。それがモノラルでは伝わりきらない。またこの録音は、歌手の声を中心にとられていて、オーケストラの音量は抑え気味になっている。
カラスの歌を聞きたい人には十分なものであるが、オーケストラを中心に聞いているものには不満が残る。

弦がすすり泣く
プッチーニを聞く時は、これを堪能したいと思っている。特にカラヤンの弦楽器の歌わせ方は絶品なので、期待を大きすぎたのかもしれない。
それならばモノラルの旧盤でなく、新盤を買うべきなのだろうか。

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2008年3月10日月曜日

「司馬氏のアイーダ」解題

今日でブログを始めて8ヶ月になる。
先日やっと歌劇「アイーダ」を聞いたので、ブログ名解題といきましょう。

『司馬氏のアイーダ』は「しばしの間おつきあいを」からとっている。
たしか落語で使われている言葉だと思うが、これを思いついたのは以下の通りである。

ブログを作ると当然のことながら文章を書く。
文章作りが下手だから、どんな文になるか予想ができない。読みにくい文がだらだらと続いていたら、読む方は大変だろう。そこをなんとか我慢して、しばらくの間でもお付き合い下さい(読んで下さい)という思いでつけたのである。

僕は子供のころから歴史が好き。今も歴史大好きで、司馬遼太郎ファンだから『司馬』をいれた。
音楽が好きになり始めたのは中学ぐらいかと思う。クラシックに興味を持つようになったのも中学の後半ぐらいだっただろう。今は言うまでもなく音楽大好き人間、音楽がなくては生きていけないのではないかと思う。それを『アイーダ』にこめた・・・と書くと、カッコイイんだけどそうではない。歌劇全曲を聞いたことはないけれども、高校1年の思い出の曲ということで「まあ、いいっか」と軽い気持ちで(というよりも、仕方なく)入れることにした。

そんなこんなで、ブログ名ができ、今日までなんとか8ヶ月続いた。
さてどこまで続くかわかりませんが、「しばしの間」と言わず、末永くお付き合い下さい。

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2008年3月8日土曜日

Jリーグ開幕

今日Jリーグが開幕する。

さて、今年はどんな戦いが繰り広げられるのでしょうか。

土曜深夜12時から「スーパーサッカー」があるが、元気な時は見ている。
ほとんどゴールシーンしか放送しないが、楽しみにしている番組だ。

今日は見るかというと、たぶん見ないと思う。明日IHで演奏があり、寝坊してはいられないのだ。
明日の新聞を楽しみにしておきましょう。

2008年3月7日金曜日

ヴェルディ/アイーダ

歌劇「アイーダ」全曲を初めて聞いた。

「司馬氏のアイーダ」というブログ名をつけているが、全曲を聞いたことがなかった。
厚かましく名前を拝借したわけである。

しかし「アイーダ」には浅からぬ縁がある。
高校入学後、吹奏楽部に入部した僕が、クラシックで初めて練習した曲が『アイーダ行進曲』である。
それ以来ずっと好きな曲になっている。

というわけで、歌劇「アイーダ」全曲が、行進曲のイメージで塗り固められていた。
「さあ」とわくわくしながらCDラジカセのスタートボタンを押す。
「!」 曲はPかPPの弦楽器の神妙な調べから始まるではないですか・・・
意表をつかれたが、ひそやかな響きに耳を傾けていると、かなり前にヴェルディの序曲・前奏曲集というCDかレコードがあって、FMで聞いたことがある記憶がよみがえってきた。

聞き進んでいくと、アリア「清きアイーダ」のメロディが流れてくる。何度か耳にしたことがあるので、ほっとしながらテノールの歌に酔う。
(初めて聞く曲は、知っている曲より緊張感を伴いますね。知っている旋律があるとちょっと安心します)

さて第2幕、『アイーダ行進曲』の登場。
紹介が遅れましたが、演奏はカラヤン/ウィーン・フィルその他。
発売当初ヤマハが制作した「アイーダトランペット」が話題になっていたことを覚えている。

そのアイーダトランペットがビンビンになっている。その鳴らしっぷりが凄い。
行進曲全体も迫力満点。そこだけボリュームアップする。(近所迷惑だ!)

印象的なところだけ書いているが、最後に曲の終わりについて。
高校1年の原体験があるので、豪快に始まって、派手に終わるというイメージを持っていた。
最初が裏切られ、最後も裏切られてしまった。そう、静かに祈るような感じで終わったのである。後であらすじを読んで納得した。
やっぱりあらすじを読まないといけないなと思う。

冒険記みたいな文になってしまったが・・・・
初めて聞くオペラのCDがたくさんあるので、それらを一通り聞いた後、じっくり聞きたい曲のリストにいれておく。
今度書く時は違ったものになるだろう。

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2008年3月6日木曜日

言いあらわし難き

「音楽の本質は、言葉で表すにはあまりに深い。

それでも、音楽について口を閉ざすのは惜しい。」

          茂木健一郎「すべては音楽から生まれる」P121

ブログを始める前だったら、なるほどと簡単に頷いて通り過ぎていった言葉であろう。
今は実感をこめてそう思う。

モーツァルトの音楽の素晴らしさを言葉でどれくらい表現できるだろうか。
「美しい」と書く場合でも、それに収まりきらない思いを持って書いている。
あまりにも月並みな言葉で、他にいい表現はないのかと思いつつ、僕の持っている語彙では適切なものが見つからないため、仕方なく「美しい」という言葉を使うことがある。

また「美しい」でも、作曲家によって色合いが異なる。
「あお」といっても、漢字の「青」からカタカナの「マリンブルー」「スカイブルー」まであるようなものだ。
モーツァルトの「美しさ」やバッハ、シューベルト、フォーレ、武満徹など(その他いっぱいいるが)の「美しさ」はそれぞれ違うのだ。
それを表現するのは難しい。

いろんな作曲家の作品を聞いて、感想や曲の素晴らしさをブログに書こうと思っても、自分の表現力のなさの故に筆が止まることがよくある。
「拙文」というが、謙遜して使うのではなく、拙いから「拙文」だ。

それでも「言いたい」「書きたい」と思う。

このブログにお越しの皆様、お読みいただいて感謝です。
作家でも評論家でもない、一介のど素人ですが、音楽の素晴らしさを少しでも表現できればと思っています。
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2008年3月5日水曜日

IH

3月9日(日)、IHで演奏します。聞かれる方々の主な年齢層は小・中学生だそうです。
曲は昨秋小学校や幼稚園でやった曲にジューンコンサートで取り上げる曲を少しします。

遠い場所なのと集合時間が早いので、寝坊してはいけません。
どうしても日曜日は起床時間が遅いのです。

2008年3月4日火曜日

プロコフィエフ/交響曲第7番

<1楽章>
冒頭、感傷的なメロディを弦楽器が奏でる。「郷愁」又は「哀愁」といってもいいかもしれない。乾いたイメージがあるプロコフィエフにとって珍しい。
じわっと心にしみてくる。
プロコフィエフは青春時代を思い出すときにこのような感情を持つのだろうか?
事柄によってはそういう感情もあるだろうとわが身を振り返ってそう思う。(若き日を懐かしむほどお前は年をとったか、と自分にツッコミをいれる)

この後オーボエが吹くメロディ一瞬シベリウスを思わせる。

この楽章には主要なメロディが3つ、2番目は広がりのある旋律。(この雄大さがいいんです!最近このメロディをよく口ずさみます)
3番目はシンプルなもの。どことなくかわいらしさがある。

<2楽章> 
くつろいだ楽しい雰囲気で始まり、いろいろな曲想をはさみつつ(憂鬱さのある部分とトロンボーンが活躍する部分が印象に残る)、華やいだ舞踏会で終わるというイメージだ。
そういえばプロコフィエフはバレエ音楽をいくつか書いているんだ、と気づかされる。

<3楽章>
心落ち着かせてくれる音楽。澄み切った境地を感じさせるところがある。
そう、6番までと違う。何か違う。シンプルだけど深い。
緩徐楽章では7曲中一番ではないかと思う。

<4楽章>
この楽章で6番までで耳になじんだプロコフィエフ・サウンドが聞ける。(僕が勝手に作り上げたプロコフィエフのイメージです、独特の軽快さとユーモア感覚のあるところを名付けました。)
たまらなくいい!これがプロコフィエフを聞く楽しみのひとつ。
この楽章の後半は、1楽章の主要なメロディの2番目と3番目が表れ、曲を閉じる。

【データ】
1楽章 : Moderato [9:52]
2楽章 : Allegretto – Allegro [7:58]
3楽章 : Andante espressivo [5:48]
4楽章 : Vivace – Moderato marcato [9:00]
小澤征爾/ベルリン・フィル

これで全7曲聞き終えました。一気に終わらせることができず、のらりくらりしながらなんとか最後までたどり着きました。文章にするということで、苦しいことがありましたが、しっかり聞いたという実感があります。

さてここで、聞きやすさ独断ランキング
1位 第1番
2位 第7番
3位 第5番
そして最下位は第2番

この全集CDはしばらく棚に置いておきます。
そのうち無性に聞きたくなる時がくると思います。その時は何番のシンフォニーを聞くのでしょうか?
ひょとして2番だったりして(笑)

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2008年3月3日月曜日

ブロムシュテット

昨夜のN響アワーより
シューベルトの「グレート」について語っているブロムシュテットを見て思ったこと

・ それぞれの場面やメロディについてイメージを持っていること

・ メロディを口ずさみつつ語っていたが、歌い方が素晴らしい!

ニュアンスのよくわかる歌い方だった。
リハーサルでは実際に歌って、表情付けをしているのだろうか。
ブロムシュテットの歌を聞いていると、どこをどういう風にやって表情をつけたらいいかがよくわかる。 

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2008年3月1日土曜日

平均律クラビア曲集第1巻第1番


ここのところずっと多忙で、細かいチェックが必要なことが続いていて、脳が疲れています。特に神経をすり減っています。
また体も凝っていて、ガチガチで柔軟性がありません。
そんな時、たまらなくバッハの平均律クラビア曲集が聞きたくなりました。

持っているCDは2種類しかないのですが、そのうちの1つ、リヒテルのピアノは頭や心の凝り固まりをほぐしてくれるような気がします。

リヒテルのピアノが紡ぎだす第1巻第1番は、神秘的な響きで僕の心をとらえます。
何度も繰り返し聞いても飽きることがありません。

2番以降も仕事しながら、ごろんと横になりながら、またコーヒーを飲みながら聞いています。

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