あと少し続くコーカサス関連の話です。
コーカサス三国の一つにアルメニアがあります。
廣瀬陽子著「コーカサス 国際関係の十字路」によると、アルメニアは歴史的由緒のある国のようです。
P64~68から、3点だけ紹介します。
世界で初めてキリスト教を国教化した(AD301)国で、アルメニア教会が信仰されている。
アルメニア教会については下記をクリックして下さい
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%82%A2%E6%AD%A3%E6%95%99%E4%BC%9A
アルメニア人は現在トルコ領にある「アララト山」を自分たちの故地だとし、非常に熱い思いを持っている。アララト山は、ノアの箱舟が漂着したされている山で、これを奪還したいという強い意思を持っている。
アルメニア人は「ディアスポラの民」として名高い。
「ディアスポラ」とは「散らされたもの」という意味で、通常は世界に離散しているユダヤ人のことをさすが、それ以外でも本国から離れて暮らす人々をさすことがある。在外アルメニア人もそれである。
有名なところではカラヤンとハチャトリアンがいる。
ここで僕の目が止まりました。なに!カラヤン?!カラヤンはアルメニア系なのかと。ギリシア系ではないのかと・・・
カラヤンについては下記をクリックして下さい
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3
さて吹奏楽でいえば、アルフレッド・リードが作曲した「アルメニアン・ダンス」は吹奏楽の名曲中の名曲です。これについては後日書きます。
2008年9月10日水曜日
シベリウス/交響曲第2番
シベリウスの交響曲のスコアを見てみたい。
どんな和音の組み方をしているのか、音の組み合わせ方はどうやっているのだろうか。他の作曲家にないシベリウス独特の響きの謎解きがしてみたいという誘惑にかられるときがあります。
スコアを見ればオーケストレーションの仕方に種明かしの一つのヒントがあると思っています。
弦楽器群・木管楽器群・金管楽器群・打楽器群と分けた場合、僕が聞いた感じでは、4つの楽器群の重ねあわせを極力少なくしているような感じがします。
また管楽器群で音が作られているところでも、加わる楽器数をなるべく少なくして響きを作っているように思うのです。僕の思い込みかも知れない。そこを確かめてみたい。
ぱらぱらとスコアをめくっていくと、音符の数よりも休符が多いような、音を出している楽器よりも休んでいる楽器が多いような感じになっていないだろうか、と勝手に想像します。はたしてどうでしょう。
さて2番の交響曲、いい曲ですね。これをコリン・デイヴィス指揮のボストン交響楽団で聞きました。
このコンビが作り出すシベリウスの響きが大好きです。ずっとこの響きのなかに身を置いておきたいと思うほどです。
シベリウスのCDは少ししか持っていません。そのなかではデイヴィス/BSOの響きの世界が好きです。けれどもこれが全てだとは思っていません。他にも僕が知らない素晴らしいシベリウスの響きがあると思っています。それを知っていく楽しみがありますね。
交響曲第1番でのデイヴィスは熱かったですが、この2番でも熱いです。
バルビローリも熱いのですが、違う熱さですね。特に1楽章と4楽章の熱い盛り上がりが好きです。シベリウスへの共感がもたらすものでしょうか。ぐいぐいと引き込まれていきます。4楽章の弦楽器を歌わせて盛り上げていくところはいつも鳥肌ものです。
このコンビでの3番以降はどんな演奏をしてくれるのでしょうか。この秋じっくり聞いていこうと思います。
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どんな和音の組み方をしているのか、音の組み合わせ方はどうやっているのだろうか。他の作曲家にないシベリウス独特の響きの謎解きがしてみたいという誘惑にかられるときがあります。
スコアを見ればオーケストレーションの仕方に種明かしの一つのヒントがあると思っています。
弦楽器群・木管楽器群・金管楽器群・打楽器群と分けた場合、僕が聞いた感じでは、4つの楽器群の重ねあわせを極力少なくしているような感じがします。
また管楽器群で音が作られているところでも、加わる楽器数をなるべく少なくして響きを作っているように思うのです。僕の思い込みかも知れない。そこを確かめてみたい。
ぱらぱらとスコアをめくっていくと、音符の数よりも休符が多いような、音を出している楽器よりも休んでいる楽器が多いような感じになっていないだろうか、と勝手に想像します。はたしてどうでしょう。
さて2番の交響曲、いい曲ですね。これをコリン・デイヴィス指揮のボストン交響楽団で聞きました。
このコンビが作り出すシベリウスの響きが大好きです。ずっとこの響きのなかに身を置いておきたいと思うほどです。
シベリウスのCDは少ししか持っていません。そのなかではデイヴィス/BSOの響きの世界が好きです。けれどもこれが全てだとは思っていません。他にも僕が知らない素晴らしいシベリウスの響きがあると思っています。それを知っていく楽しみがありますね。
交響曲第1番でのデイヴィスは熱かったですが、この2番でも熱いです。
バルビローリも熱いのですが、違う熱さですね。特に1楽章と4楽章の熱い盛り上がりが好きです。シベリウスへの共感がもたらすものでしょうか。ぐいぐいと引き込まれていきます。4楽章の弦楽器を歌わせて盛り上げていくところはいつも鳥肌ものです。
このコンビでの3番以降はどんな演奏をしてくれるのでしょうか。この秋じっくり聞いていこうと思います。
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2008年9月9日火曜日
ベルク/3つの管弦楽曲
時々思い出したように聞いている「カラヤン/新ウィーン楽派管弦楽曲集」より
ベルク/3つの管弦楽曲 作品6
1914~15年の作曲で、1929年改訂版。
第1楽章 : 前奏曲
第2楽章 : 輪舞
第3楽章 : 行進曲
となっている。
この曲は3枚組CDによって初めて知ったが、10年前や20年前に聞いていたら拒絶反応を起こしていたかもしれない。今は抵抗なく聞ける。いやそれよりすごくいいと思える。
これには理由がある。
吹奏楽のオリジナル作品に「3つの管弦楽曲」のいずれかの楽章に近い雰囲気の曲がそこそこあるのだ。だから初めての曲なんだけど、どっかで聞いたことあるなとか、何かの曲に似いているなと思いながら聞くことができた。
これをベルクの先進性と見るべきか、今の吹奏楽作曲家がベルクを研究し自分の作曲にいかしていると見るべきか、そこのところは僕にはわからない。
ここで仮の話だが、
僕がこの曲を知る前に、誰かが吹奏楽用に編曲し(原曲になるべく忠実に)、最高の演奏でCDを制作して、「吹奏楽オリジナル作品にこんなすごい曲があるよ」と言って聞かせてくれたら、素直に感動するだろうと思う。
いい曲だと思えたのは、オリジナル作品を聞いてきたこと以外にプロコフィエフやバルトークを聞いてきた蓄積があるからかもしれない・・・。まあ、いろいろと理由はあるかと思うが、要は今の僕にピタッとはまるというか、ググっとくる曲だったのだ。
演奏も録音も申し分ない。いい曲でも演奏が悪ければ心に響いてこない。カラヤンもさることながらベルリン・フィルが素晴らしい。
これではるか遠くにあったベルクが俄然近い存在になった。最近Shushiさんがベルクを取り上げておられるけれども「ルル」や「ヴォツェック」も聞いてみたいと思えるようになった。
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ベルク/3つの管弦楽曲 作品6
1914~15年の作曲で、1929年改訂版。
第1楽章 : 前奏曲
第2楽章 : 輪舞
第3楽章 : 行進曲
となっている。
この曲は3枚組CDによって初めて知ったが、10年前や20年前に聞いていたら拒絶反応を起こしていたかもしれない。今は抵抗なく聞ける。いやそれよりすごくいいと思える。
これには理由がある。
吹奏楽のオリジナル作品に「3つの管弦楽曲」のいずれかの楽章に近い雰囲気の曲がそこそこあるのだ。だから初めての曲なんだけど、どっかで聞いたことあるなとか、何かの曲に似いているなと思いながら聞くことができた。
これをベルクの先進性と見るべきか、今の吹奏楽作曲家がベルクを研究し自分の作曲にいかしていると見るべきか、そこのところは僕にはわからない。
ここで仮の話だが、
僕がこの曲を知る前に、誰かが吹奏楽用に編曲し(原曲になるべく忠実に)、最高の演奏でCDを制作して、「吹奏楽オリジナル作品にこんなすごい曲があるよ」と言って聞かせてくれたら、素直に感動するだろうと思う。
いい曲だと思えたのは、オリジナル作品を聞いてきたこと以外にプロコフィエフやバルトークを聞いてきた蓄積があるからかもしれない・・・。まあ、いろいろと理由はあるかと思うが、要は今の僕にピタッとはまるというか、ググっとくる曲だったのだ。
演奏も録音も申し分ない。いい曲でも演奏が悪ければ心に響いてこない。カラヤンもさることながらベルリン・フィルが素晴らしい。
これではるか遠くにあったベルクが俄然近い存在になった。最近Shushiさんがベルクを取り上げておられるけれども「ルル」や「ヴォツェック」も聞いてみたいと思えるようになった。
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2008年9月8日月曜日
メンデルスゾーン/交響曲第4番
盆以降の夏らしくない気候に、夏らしい気分を味わってすっきり秋の気分になりたいと思って取り出した1枚です。
メンデルスゾーン/交響曲第4番「イタリア」
シャルル・ミュンシュ指揮のボストン交響楽団の演奏です。
1楽章冒頭の木管とそれに続くヴァイオリンの第1主題は切れ味鋭く熱い、この熱さが楽章全体に充満しています。聞いていて元気をもらいました。
メンデルスゾーンがイタリアから受けた印象がこの曲で、僕がイタリア旅行したら同じような印象を持つかなと想像すると楽しいですね。
イタリアは一度行ってみたい国です。特に塩野七生さんの著作を読んでから関心のある国になりました。
2楽章は、メロディの歌わせ方がいいなァ。演奏はオーケストレーションのシンプルさを生かしているような気がします。
3楽章はメヌエットでしょうか?よくわかりませんが、気持ちのいい音楽です。ときに靄がかかったような表現がありますが、いい雰囲気です。
4楽章は激しくもあり、情熱的な演奏。
1楽章にしろ、4楽章にしろ、音の塊がドーンと迫ってきます。録音によるのかミュンシュの音楽性なのかわかりませんが、この曲にふさわしいと思いました。
1957年10月28日の録音です。XRCD24シリーズの1枚、いい音です。
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メンデルスゾーン/交響曲第4番「イタリア」
シャルル・ミュンシュ指揮のボストン交響楽団の演奏です。
1楽章冒頭の木管とそれに続くヴァイオリンの第1主題は切れ味鋭く熱い、この熱さが楽章全体に充満しています。聞いていて元気をもらいました。
メンデルスゾーンがイタリアから受けた印象がこの曲で、僕がイタリア旅行したら同じような印象を持つかなと想像すると楽しいですね。
イタリアは一度行ってみたい国です。特に塩野七生さんの著作を読んでから関心のある国になりました。
2楽章は、メロディの歌わせ方がいいなァ。演奏はオーケストレーションのシンプルさを生かしているような気がします。
3楽章はメヌエットでしょうか?よくわかりませんが、気持ちのいい音楽です。ときに靄がかかったような表現がありますが、いい雰囲気です。
4楽章は激しくもあり、情熱的な演奏。
1楽章にしろ、4楽章にしろ、音の塊がドーンと迫ってきます。録音によるのかミュンシュの音楽性なのかわかりませんが、この曲にふさわしいと思いました。
1957年10月28日の録音です。XRCD24シリーズの1枚、いい音です。
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2008年9月7日日曜日
なんとか・・・
ここ数日、梅雨に戻ったんではないかという気候ですね。
ちょっと体が重いです。
今朝は5時頃起きました。普通の休日なら熟睡タイムですが、今日はノソノソと起きTVのスイッチをON。負けてやしないだろうかと不安な気持ちでしたが、2-0で勝っていることを知ってひと安心。
ごめんなさい、サッカーの話です。ワールドカップアジア最終予選の初戦でバーレーンとの対戦。ここを落とすと非常に厳しいので、ここ数日気が気でありませんでした。
試合は後半30分を過ぎたあたりでした。しばらく見ていると3点目が入り、よっしゃこれで勝ったなと思ったのが甘かった。数分後に1点を返され、あれよあれよという間にオウンゴールで2点目を献上。そうなると僕の心臓がバクバクと打ち始めました。
なんとか逃げ切ってくれ、と思いながら画面をにらむこと数分。ロスタイム3分の表示に、ボールの行方とタイム表示を交互に見ながらの長い時間。
試合終了のホイッスルに、体の力が抜けました。
ほ~、なんとか勝ちましたね。
ちょっと体が重いです。
今朝は5時頃起きました。普通の休日なら熟睡タイムですが、今日はノソノソと起きTVのスイッチをON。負けてやしないだろうかと不安な気持ちでしたが、2-0で勝っていることを知ってひと安心。
ごめんなさい、サッカーの話です。ワールドカップアジア最終予選の初戦でバーレーンとの対戦。ここを落とすと非常に厳しいので、ここ数日気が気でありませんでした。
試合は後半30分を過ぎたあたりでした。しばらく見ていると3点目が入り、よっしゃこれで勝ったなと思ったのが甘かった。数分後に1点を返され、あれよあれよという間にオウンゴールで2点目を献上。そうなると僕の心臓がバクバクと打ち始めました。
なんとか逃げ切ってくれ、と思いながら画面をにらむこと数分。ロスタイム3分の表示に、ボールの行方とタイム表示を交互に見ながらの長い時間。
試合終了のホイッスルに、体の力が抜けました。
ほ~、なんとか勝ちましたね。
2008年9月6日土曜日
カスピ海ヨーグルト
コーカサス関連ですが、先日カスピ海ヨーグルトを買って食べてみました。
400gや500gのヨーグルトの平均価格より高いので簡単には手がでませんが、一回は食べてみようと思ったわけです。
日本のメーカーが製造しているのですが、「カスピ海ヨーグルトと同じ乳酸菌、クレモリス乳酸菌を使ったプレーンヨーグルト」とパックに書いてあります。
食感はきめの細かさを感じました。とろりとしている、なめらか、つるつるしていると表現していいかもしれません。
豆腐に木綿豆腐や絹ごし豆腐があるように、ヨーグルトにもそういうきめ細かさの違いがあると感じました。
味は、プレーンが苦手な人でも結構大丈夫だと思えるものでした。他の商品では酸っぱくてプレーンでは食べづらいものもありますから、そう思うとおいしいと言っていいかもしれません。
なんか堅苦しい商品説明みたいになりました(苦笑)
これじゃ、この文を読んで食べてみたいと思う人はいないでしょうね。
明日は吹奏楽フェスティバルへ向けた日曜練習です。
たった1曲に午後と夜の時間を使います。中学校や高校がコンクールに向けて課題曲や自由曲(自由曲のみの場合もある)をひたすら練習するのと同じような感覚かなと思っています。
僕の高校時代はコンクールというものは別世界の出来事でしたら、コンクール前の練習の経験がなく、どんなものかはわかりませんが、明日の練習はなんとなく近いものがあるのだろうと思っています。
わが吹奏楽団で、1曲にじっくり時間をかけるのはこの時期だけです。指揮者の力量もここで問われるわけです。
明日は3つの標語を掲げて練習しようかなと思っています。
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400gや500gのヨーグルトの平均価格より高いので簡単には手がでませんが、一回は食べてみようと思ったわけです。
日本のメーカーが製造しているのですが、「カスピ海ヨーグルトと同じ乳酸菌、クレモリス乳酸菌を使ったプレーンヨーグルト」とパックに書いてあります。
食感はきめの細かさを感じました。とろりとしている、なめらか、つるつるしていると表現していいかもしれません。
豆腐に木綿豆腐や絹ごし豆腐があるように、ヨーグルトにもそういうきめ細かさの違いがあると感じました。
味は、プレーンが苦手な人でも結構大丈夫だと思えるものでした。他の商品では酸っぱくてプレーンでは食べづらいものもありますから、そう思うとおいしいと言っていいかもしれません。
なんか堅苦しい商品説明みたいになりました(苦笑)
これじゃ、この文を読んで食べてみたいと思う人はいないでしょうね。
明日は吹奏楽フェスティバルへ向けた日曜練習です。
たった1曲に午後と夜の時間を使います。中学校や高校がコンクールに向けて課題曲や自由曲(自由曲のみの場合もある)をひたすら練習するのと同じような感覚かなと思っています。
僕の高校時代はコンクールというものは別世界の出来事でしたら、コンクール前の練習の経験がなく、どんなものかはわかりませんが、明日の練習はなんとなく近いものがあるのだろうと思っています。
わが吹奏楽団で、1曲にじっくり時間をかけるのはこの時期だけです。指揮者の力量もここで問われるわけです。
明日は3つの標語を掲げて練習しようかなと思っています。
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2008年9月5日金曜日
2年前の「文藝春秋」
8月下旬に本や雑誌の整理をしていると、2年前の「文藝春秋」9月号が出てきました。パラパラと読んで、9月に入ってからのブログねたにしようと寝かせてありました。
9月号の目玉は「芥川賞発表」と「独占掲載 安倍晋三『闘う政治家』宣言」です。
目次を開けると安倍さんの記事のタイトルに「この国のために命を捨てる」とあります。2年前にはこんなに勇ましい文言が書いてあったのです。
僕は月刊誌は年に1冊買うか買わないかです。ではなぜ「文藝春秋」9月号を買ったか。「これがオシム流監督術だ」と「私だけが知る中田英寿の孤独」の2つの記事があったからです。
2年前のサッカー・ワールドカップの見るも無残な負け方と中田英寿の引退にショックを受け、しばらく引きずっていました。一方、日本代表監督に就任にしたイビチャ・オシム監督(当時)に非常な期待を寄せていました。タイミングよく出た2つの記事にふらふらと惹かれて買ってしまったわけです。
2年ぶりに読んだわけですが、オシム前監督と川淵三郎の対談記事に、今回の北京オリンピックの野球の無残な結果が重なって見えたのです。
その部分を引用します。
「オシム 本当に日本のほうが力が上なのか、と客観的に見るべきです。悲観的になる必要はありません。現実的に考えるべきです。恐いのはそうしたマスコミの予想が、ファンだけでなく選手にも影響を与えることです。(P141) (中略)
(オーストラリア戦の惨敗と予選リーグ三連敗という結果にショックを受けたという言葉に対して)なぜショックを受けるのですか。それは日本人が覚悟していなかったからでしょう。 (中略)
ただ人を批判するよりも、あらゆる結果が起こりうるということを覚悟することのほうが先でしょう。 (中略)
オーストリアに勝てるという雰囲気を作ったのも、メディアだと思います。日本は負けそうだと書いた新聞はほとんどなく、楽観論が多かったですからね。 (中略) ファンだけでなく選手たちもマスコミに影響されます。あの報道を見れば、自分たちのほうが強くて勝てそうだと思い込んでも無理はありません。選手たちだって新聞を読むと、自分たちの力を正しく見られなくなってしまうものです。 (中略)
楽観的ではなく客観的な報道を心がけてほしいです。(P142~143)」
さて、これを読んでどう感じられるかは自由です。
僕はマスコミに乗せられて、苦しい戦いを勝ち抜いて金メダルをとると大いに期待していました。WBC初代チャンピオンになったという事実も期待に後押しをしていました。
盆休みと重なったことで、TVにかじりついて見ていました。こんなに真剣に野球を見るのは何年ぶりだろうか、しかも何試合も。負けた試合は見ました。準々決勝の最後のあたりと3位決定戦の最後の方は腹が立ってチャンネルを消しましたが・・・。
期待が大きかっただけに4位という結果には愕然としました。2年前のワールドカップの敗退と同じくらいのショックでした。
そしてオリンピックが終わって数日後だったと思いますが、ふと目についたのが2年前の「文藝春秋」だったのです。
週刊誌などの広告にある、手のひらを返したような「星野ジャパンたたき」を見て複雑な思いにかられる自分がそこにいますが、冷静になって(と自分で思い込んでいます)考えると、4位は実力通りの結果ではなかったかと思っています。
敗因の分析は野球に詳しい方のお任せします。
サッカーの話です。
明日はアジア最終予選の初戦、非常に厳しい戦いになると思いますが、なんとか勝ってほしいです。
僕はワールドカップ出場はかなり厳しいのではないかと悲観的になっています。
9月号の目玉は「芥川賞発表」と「独占掲載 安倍晋三『闘う政治家』宣言」です。
目次を開けると安倍さんの記事のタイトルに「この国のために命を捨てる」とあります。2年前にはこんなに勇ましい文言が書いてあったのです。
僕は月刊誌は年に1冊買うか買わないかです。ではなぜ「文藝春秋」9月号を買ったか。「これがオシム流監督術だ」と「私だけが知る中田英寿の孤独」の2つの記事があったからです。
2年前のサッカー・ワールドカップの見るも無残な負け方と中田英寿の引退にショックを受け、しばらく引きずっていました。一方、日本代表監督に就任にしたイビチャ・オシム監督(当時)に非常な期待を寄せていました。タイミングよく出た2つの記事にふらふらと惹かれて買ってしまったわけです。
2年ぶりに読んだわけですが、オシム前監督と川淵三郎の対談記事に、今回の北京オリンピックの野球の無残な結果が重なって見えたのです。
その部分を引用します。
「オシム 本当に日本のほうが力が上なのか、と客観的に見るべきです。悲観的になる必要はありません。現実的に考えるべきです。恐いのはそうしたマスコミの予想が、ファンだけでなく選手にも影響を与えることです。(P141) (中略)
(オーストラリア戦の惨敗と予選リーグ三連敗という結果にショックを受けたという言葉に対して)なぜショックを受けるのですか。それは日本人が覚悟していなかったからでしょう。 (中略)
ただ人を批判するよりも、あらゆる結果が起こりうるということを覚悟することのほうが先でしょう。 (中略)
オーストリアに勝てるという雰囲気を作ったのも、メディアだと思います。日本は負けそうだと書いた新聞はほとんどなく、楽観論が多かったですからね。 (中略) ファンだけでなく選手たちもマスコミに影響されます。あの報道を見れば、自分たちのほうが強くて勝てそうだと思い込んでも無理はありません。選手たちだって新聞を読むと、自分たちの力を正しく見られなくなってしまうものです。 (中略)
楽観的ではなく客観的な報道を心がけてほしいです。(P142~143)」
さて、これを読んでどう感じられるかは自由です。
僕はマスコミに乗せられて、苦しい戦いを勝ち抜いて金メダルをとると大いに期待していました。WBC初代チャンピオンになったという事実も期待に後押しをしていました。
盆休みと重なったことで、TVにかじりついて見ていました。こんなに真剣に野球を見るのは何年ぶりだろうか、しかも何試合も。負けた試合は見ました。準々決勝の最後のあたりと3位決定戦の最後の方は腹が立ってチャンネルを消しましたが・・・。
期待が大きかっただけに4位という結果には愕然としました。2年前のワールドカップの敗退と同じくらいのショックでした。
そしてオリンピックが終わって数日後だったと思いますが、ふと目についたのが2年前の「文藝春秋」だったのです。
週刊誌などの広告にある、手のひらを返したような「星野ジャパンたたき」を見て複雑な思いにかられる自分がそこにいますが、冷静になって(と自分で思い込んでいます)考えると、4位は実力通りの結果ではなかったかと思っています。
敗因の分析は野球に詳しい方のお任せします。
サッカーの話です。
明日はアジア最終予選の初戦、非常に厳しい戦いになると思いますが、なんとか勝ってほしいです。
僕はワールドカップ出場はかなり厳しいのではないかと悲観的になっています。
2008年9月4日木曜日
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第1番
20代の一時期、弦楽四重奏曲をよく聞いたことがあった。そのなかにベートーヴェンのラズモフスキー3曲と後期の数曲があった。もう聞かないようになってどれくらいになるだろう。本当に久しぶりにベートーヴェンの弦楽四重奏曲を聞いた。
僕がブログをするようになり、他の方のブログも読むようになって、刺激を受けいろんな分野に興味を持つようになった。弦楽四重奏曲もその一つ。CD購入の際も愛読するいくつかのブログをを参考にしている。今回ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲は、多少迷いつつもズスケ・カルテットの全集を買うことにした。
CDが来て「さあ!」と気合入れて(?)第1番の1楽章を聞いたところ、あまりにも無愛想な冒頭のメロディーに出鼻をくじかれてしまった。
「そんなにぶっきらぼうなメロディにしなくても」とつっこみたくなるようなメロディだ。これが第1主題。このメロディ、何回か聞くと「皇帝」第1楽章第1主題の最初の1小節目のリズムに似ている感じがする。
だがいかにも短くぶつっと切れる。この無愛想きわまりないメロディだが1回聞くと耳に残うのが不思議だ。
1楽章は、この主題を展開するしていくが、それは「運命」の「ダダダダーン」という有名な主題を展開させて1つの楽章を作り上げていくの作曲技法を予見させるもののような気がする。
2楽章は1楽章を対照的に歌が綿々と続く。悲しみと憂いが心にしみてくる。 最後のあたり出てくる慟哭にも似た叫びには圧倒されてしまった。
3楽章のスケルツォはいかにもベートーヴェンとらしい。
4楽章では4つの楽器を対等に扱い、それぞれがよく表に出てくる箇所が印象的だった。
初めて聞く第1番だった。 この曲を何回聞いただろう。
ブログに1番から書いてやろうと決めたので、なんとか忍耐強く聞いものだ。10回は聞いただろう。そうじゃなかったら2,3回聞いてあとはケースにしまってそのままになっていたかもしれない。
おかげさまで、ようやくよさがわかってきた感じがする。
演奏はズスケ・カルテット。他の演奏で聞いたことがないのでなんともいえないが、いい演奏じゃないだろうかと思っている。
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僕がブログをするようになり、他の方のブログも読むようになって、刺激を受けいろんな分野に興味を持つようになった。弦楽四重奏曲もその一つ。CD購入の際も愛読するいくつかのブログをを参考にしている。今回ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲は、多少迷いつつもズスケ・カルテットの全集を買うことにした。
CDが来て「さあ!」と気合入れて(?)第1番の1楽章を聞いたところ、あまりにも無愛想な冒頭のメロディーに出鼻をくじかれてしまった。
「そんなにぶっきらぼうなメロディにしなくても」とつっこみたくなるようなメロディだ。これが第1主題。このメロディ、何回か聞くと「皇帝」第1楽章第1主題の最初の1小節目のリズムに似ている感じがする。
だがいかにも短くぶつっと切れる。この無愛想きわまりないメロディだが1回聞くと耳に残うのが不思議だ。
1楽章は、この主題を展開するしていくが、それは「運命」の「ダダダダーン」という有名な主題を展開させて1つの楽章を作り上げていくの作曲技法を予見させるもののような気がする。
2楽章は1楽章を対照的に歌が綿々と続く。悲しみと憂いが心にしみてくる。 最後のあたり出てくる慟哭にも似た叫びには圧倒されてしまった。
3楽章のスケルツォはいかにもベートーヴェンとらしい。
4楽章では4つの楽器を対等に扱い、それぞれがよく表に出てくる箇所が印象的だった。
初めて聞く第1番だった。 この曲を何回聞いただろう。
ブログに1番から書いてやろうと決めたので、なんとか忍耐強く聞いものだ。10回は聞いただろう。そうじゃなかったら2,3回聞いてあとはケースにしまってそのままになっていたかもしれない。
おかげさまで、ようやくよさがわかってきた感じがする。
演奏はズスケ・カルテット。他の演奏で聞いたことがないのでなんともいえないが、いい演奏じゃないだろうかと思っている。
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2008年9月3日水曜日
モーツァルト/弦楽四重奏曲第19番
先日の続きです。
茂木健一郎、江村哲二著「音楽を『考える』」より
19ページに「モーツァルトの音楽は、とてもきちんとした印象で、楽理的にも完璧なものを数多く書いている。だけどそれだけじゃない、彼の心の奥底に住む何か、魔物を見て、この曲を書いてしまったような気がする。」とあります。
その数行後に前回引用した箇所がきます。
この曲とは、モーツァルト/弦楽四重奏曲第19番ハ長調 「不協和音」です。その1楽章冒頭のアダージョをについて書いているわけです。
じゃあ、僕にも「心の奥底の何か」とか「闇」を感じ取ることができるのだろうかと思って聞いてみました。ジュリアード弦楽四重奏団の演奏です。
「ん~」
駄目でしたね。何か不気味な感じがしますが、深い部分まで感じ取るには、はるか遠い感じがしました。
いろんなブログを読んでいて常々感じることですが、僕は音楽の表面的なことしか聞けていないと思っています。今回も感受性の鈍さを自覚させられたわけです。
モーツァルトの「哀しみ」もわかりません。「闇」もわかりません。それがわかる方々と感受性に質的な違いがあるんだろうなと思っています。
そういう深く鋭い感受性を身につける方法は?
学校の数学みたいにきちっとカリキュラムが組んであって、時間がかかっても一段一段登って行けばできるるようになっていく、そういうものではないと思っています。
でも僕が知らないだけで、いい方法があるかもしれません。
個人で音楽を楽しむには、どのレベルの感受性であろうと構わないと思います。
音楽が好きで、聞いて楽しむ。そこに満足と喜びがあればそれでいい。それ以上でもそれ以下でもないとシンプルに考えています。
だから、「別にいいんじゃない」と開き直り、乱聴ではあるがいろいろ聞いていけば、ある時「哀しみ」や「闇」を感じ取るようになるかもしれないと楽観的に構えています。
(感受性にレベルの高い低いがあるという言い方にやや違和感があります。技術やスポーツでのランキングと違うわけですから・・・、いい用語が思いつかないので仕方なく使っています)
けれども、吹奏楽団の指揮者という立場を考えれば、低いレベルではいけないだろうと思ったりもします。もっと深く音楽がわかり、感じ取ることができなければいけないと思うわけです。音楽的レベルの低い指揮者のもとで演奏しなければならないメンバーは不幸です。
(ちょっと過激だな・・・、でも正論だよな・・・)
さて、曲のほうですが
19番は久しぶりに聞きました。いい曲ですね!
やっぱりモーツァルトはいいなと思いました。
1楽章のアレグロに入っての第1主題は、アダージョとの対比がきいているのか、明るさが印象的です。
冒頭のアダージョはとってつけたような感じがします。(これは暴論ですね)
2楽章での演奏はくすんだ音色します。これがやや暗い、ややふさぎこんだような部分によくあっていると思いました。
3楽章も4楽章も気分いいですね!
このカルテットの特徴なのか、録音によるのかわかりませんが、ややくすんだような音がします。それが落ち着きある雰囲気を作っているような気もします。
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茂木健一郎、江村哲二著「音楽を『考える』」より
19ページに「モーツァルトの音楽は、とてもきちんとした印象で、楽理的にも完璧なものを数多く書いている。だけどそれだけじゃない、彼の心の奥底に住む何か、魔物を見て、この曲を書いてしまったような気がする。」とあります。
その数行後に前回引用した箇所がきます。
この曲とは、モーツァルト/弦楽四重奏曲第19番ハ長調 「不協和音」です。その1楽章冒頭のアダージョをについて書いているわけです。
じゃあ、僕にも「心の奥底の何か」とか「闇」を感じ取ることができるのだろうかと思って聞いてみました。ジュリアード弦楽四重奏団の演奏です。
「ん~」
駄目でしたね。何か不気味な感じがしますが、深い部分まで感じ取るには、はるか遠い感じがしました。
いろんなブログを読んでいて常々感じることですが、僕は音楽の表面的なことしか聞けていないと思っています。今回も感受性の鈍さを自覚させられたわけです。
モーツァルトの「哀しみ」もわかりません。「闇」もわかりません。それがわかる方々と感受性に質的な違いがあるんだろうなと思っています。
そういう深く鋭い感受性を身につける方法は?
学校の数学みたいにきちっとカリキュラムが組んであって、時間がかかっても一段一段登って行けばできるるようになっていく、そういうものではないと思っています。
でも僕が知らないだけで、いい方法があるかもしれません。
個人で音楽を楽しむには、どのレベルの感受性であろうと構わないと思います。
音楽が好きで、聞いて楽しむ。そこに満足と喜びがあればそれでいい。それ以上でもそれ以下でもないとシンプルに考えています。
だから、「別にいいんじゃない」と開き直り、乱聴ではあるがいろいろ聞いていけば、ある時「哀しみ」や「闇」を感じ取るようになるかもしれないと楽観的に構えています。
(感受性にレベルの高い低いがあるという言い方にやや違和感があります。技術やスポーツでのランキングと違うわけですから・・・、いい用語が思いつかないので仕方なく使っています)
けれども、吹奏楽団の指揮者という立場を考えれば、低いレベルではいけないだろうと思ったりもします。もっと深く音楽がわかり、感じ取ることができなければいけないと思うわけです。音楽的レベルの低い指揮者のもとで演奏しなければならないメンバーは不幸です。
(ちょっと過激だな・・・、でも正論だよな・・・)
さて、曲のほうですが
19番は久しぶりに聞きました。いい曲ですね!
やっぱりモーツァルトはいいなと思いました。
1楽章のアレグロに入っての第1主題は、アダージョとの対比がきいているのか、明るさが印象的です。
冒頭のアダージョはとってつけたような感じがします。(これは暴論ですね)
2楽章での演奏はくすんだ音色します。これがやや暗い、ややふさぎこんだような部分によくあっていると思いました。
3楽章も4楽章も気分いいですね!
このカルテットの特徴なのか、録音によるのかわかりませんが、ややくすんだような音がします。それが落ち着きある雰囲気を作っているような気もします。
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2008年9月1日月曜日
自分が傷ついていく
昨日はOBの練習がありました。
定演の時より新顔が増えました。新顔といってもよく知っている人たちです。定演には出ることはできなかったけれど、創立○十年記念音楽会には出演できるOBの方々です。
楽しく練習ができました。こうして一緒に演奏できる仲間が増えるのは嬉しいことです。
さて、今日のタイトルはちょっとびっくりするようなものをつけました。
昨日から『音楽を「考える」』(ちくまプリマー新書)という本を読んでいます。著者は茂木健一郎さんと江村哲二さん。江村さんは作曲家ですが、名前は初めて知りました。
17ページに「モーツァルトが抱えていた『闇』は創造の本質を物語る」という見出しがあり、そこでの二人の対談が載せてあります。そのなかに「自分が傷ついていく」という言葉があり、それを今日のタイトルに使ってみました。
その前後の文が興味深い内容なので引用します。
「江村 作曲ということの一つには、自分の心の奥底にある、ある意味では決して開いてはいけない部分に、何かを探って切り裂いていく、そういう過程があるんです。 (中略)
見たいんだけどみてしまったらだめで、全てが終わってしまうようなこと。ここでぎりぎり止めておくのか、それともあっちの世界に行っちゃうのか、その境界線のところが制作という行為の本質だと思います。自分の胸を切り裂いていくことに近いものがあります。 (中略)
自分が傷つくことをやっていながら、「傷ついている」ことそのものを表現してしまったらおもしろくともなんともない。その「傷ついていく」プロセスが何か新しいものを生み出すわけです。いわばぎりぎりの境界線上に位置しながら生み出し続ける。
モーツァルトの冒頭のアダージョは、そういった「闇」の部分をかいま見せている作品だと思います。」 (P21~22)
このアダージョというのは、弦楽四重奏曲第19番「不協和音」の1楽章冒頭部分のことです。
作曲というのは江村さんの言っている過程を通してなされるものであることを初めて知りましたが、作曲家って大変なんだなと思いました。裂け目の状態にじっと耐えながら音符を書き続ける・・・、僕だったら気が狂ってしまうでしょうね。
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定演の時より新顔が増えました。新顔といってもよく知っている人たちです。定演には出ることはできなかったけれど、創立○十年記念音楽会には出演できるOBの方々です。
楽しく練習ができました。こうして一緒に演奏できる仲間が増えるのは嬉しいことです。
さて、今日のタイトルはちょっとびっくりするようなものをつけました。
昨日から『音楽を「考える」』(ちくまプリマー新書)という本を読んでいます。著者は茂木健一郎さんと江村哲二さん。江村さんは作曲家ですが、名前は初めて知りました。
17ページに「モーツァルトが抱えていた『闇』は創造の本質を物語る」という見出しがあり、そこでの二人の対談が載せてあります。そのなかに「自分が傷ついていく」という言葉があり、それを今日のタイトルに使ってみました。
その前後の文が興味深い内容なので引用します。
「江村 作曲ということの一つには、自分の心の奥底にある、ある意味では決して開いてはいけない部分に、何かを探って切り裂いていく、そういう過程があるんです。 (中略)
見たいんだけどみてしまったらだめで、全てが終わってしまうようなこと。ここでぎりぎり止めておくのか、それともあっちの世界に行っちゃうのか、その境界線のところが制作という行為の本質だと思います。自分の胸を切り裂いていくことに近いものがあります。 (中略)
自分が傷つくことをやっていながら、「傷ついている」ことそのものを表現してしまったらおもしろくともなんともない。その「傷ついていく」プロセスが何か新しいものを生み出すわけです。いわばぎりぎりの境界線上に位置しながら生み出し続ける。
モーツァルトの冒頭のアダージョは、そういった「闇」の部分をかいま見せている作品だと思います。」 (P21~22)
このアダージョというのは、弦楽四重奏曲第19番「不協和音」の1楽章冒頭部分のことです。
作曲というのは江村さんの言っている過程を通してなされるものであることを初めて知りましたが、作曲家って大変なんだなと思いました。裂け目の状態にじっと耐えながら音符を書き続ける・・・、僕だったら気が狂ってしまうでしょうね。
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