2008年9月1日月曜日

自分が傷ついていく

昨日はOBの練習がありました。
定演の時より新顔が増えました。新顔といってもよく知っている人たちです。定演には出ることはできなかったけれど、創立○十年記念音楽会には出演できるOBの方々です。
楽しく練習ができました。こうして一緒に演奏できる仲間が増えるのは嬉しいことです。


さて、今日のタイトルはちょっとびっくりするようなものをつけました。
昨日から『音楽を「考える」』(ちくまプリマー新書)という本を読んでいます。著者は茂木健一郎さんと江村哲二さん。江村さんは作曲家ですが、名前は初めて知りました。

17ページに「モーツァルトが抱えていた『闇』は創造の本質を物語る」という見出しがあり、そこでの二人の対談が載せてあります。そのなかに「自分が傷ついていく」という言葉があり、それを今日のタイトルに使ってみました。
その前後の文が興味深い内容なので引用します。

江村  作曲ということの一つには、自分の心の奥底にある、ある意味では決して開いてはいけない部分に、何かを探って切り裂いていく、そういう過程があるんです。 (中略) 
見たいんだけどみてしまったらだめで、全てが終わってしまうようなこと。ここでぎりぎり止めておくのか、それともあっちの世界に行っちゃうのか、その境界線のところが制作という行為の本質だと思います。自分の胸を切り裂いていくことに近いものがあります。 (中略)
自分が傷つくことをやっていながら、「傷ついている」ことそのものを表現してしまったらおもしろくともなんともない。その「傷ついていく」プロセスが何か新しいものを生み出すわけです。いわばぎりぎりの境界線上に位置しながら生み出し続ける。
モーツァルトの冒頭のアダージョは、そういった「闇」の部分をかいま見せている作品だと思います。」 (P21~22)

このアダージョというのは、弦楽四重奏曲第19番「不協和音」の1楽章冒頭部分のことです。

作曲というのは江村さんの言っている過程を通してなされるものであることを初めて知りましたが、作曲家って大変なんだなと思いました。裂け目の状態にじっと耐えながら音符を書き続ける・・・、僕だったら気が狂ってしまうでしょうね。

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2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

よんちゃんさんこんにちは♪
作曲家もそうなんですね~。

作曲家にしろ作家にしろ画家にしろ芸術家ってホントご苦労さんな職業だと思います~。


自身の内面に潜むどうしようもない苦悩や執着、トラウマや性癖のようなものまで、凡人ならフタをしてしまいたい事をわざわざこじ開けて表現せずにはいられない!突き動かされるように形にしたい!らしいですね。

むか~し読んだ瀬戸内晴美さんだったか誰だかのエッセイに
「内臓が裏返る思いで小説を書く。血ヘドを吐く思いで書く。」
とありました。
壮絶な作業なんだな~。と驚いたのを憶えています。

そうしてすごいエネルギーで世に出された作品は、“身に憶え”のある人達から「よくぞ書いてくれた!!」と共感を呼び、人の心を揺り動かすんですね。
そんな作品に触れた時、“きれいは汚い、汚いはきれい”。
“きれい”なものと“汚い”ものは表裏一体なんだと実感させられます。

私も、この乏しい人生経験から来る溢れる思いやせつなさ腹黒さを表現者となって形にした~い!ですがまだまだ“世のきれいごと”から離れられませんし身を切るのはヤです。それに何より第一、技術が必要です。ア~ァ・・・

人の心を打つ表現・・・。憧れます(^^;)

このまま墓場まで担いで行くしか☆

よんちゃん さんのコメント...

ジョビジョバさん、こんにちは。

瀬戸内晴美さんの「内臓が裏返る思いで小説を書く。血ヘドを吐く思いで書く。」という言葉は凄まじいですね。
作家って多かれ少なかれそんな過程を経て作品を世に送り出しているんでしょうね。

『きれいは汚い、汚いはきれい』
なるほど、そのように言えるかもしれないですね。ここのところは僕の理解を超えていますが・・・

『人の心を打つ表現』は、アマチュアの身ですが、吹奏楽という形を通して表現してみたいですね!