2008年9月3日水曜日

モーツァルト/弦楽四重奏曲第19番

先日の続きです。
茂木健一郎、江村哲二著「音楽を『考える』」より
19ページに「モーツァルトの音楽は、とてもきちんとした印象で、楽理的にも完璧なものを数多く書いている。だけどそれだけじゃない、彼の心の奥底に住む何か、魔物を見て、この曲を書いてしまったような気がする。」とあります。
その数行後に前回引用した箇所がきます。

この曲とは、モーツァルト/弦楽四重奏曲第19番ハ長調 「不協和音」です。その1楽章冒頭のアダージョをについて書いているわけです。

じゃあ、僕にも「心の奥底の何か」とか「闇」を感じ取ることができるのだろうかと思って聞いてみました。ジュリアード弦楽四重奏団の演奏です。

「ん~」

駄目でしたね。何か不気味な感じがしますが、深い部分まで感じ取るには、はるか遠い感じがしました。
いろんなブログを読んでいて常々感じることですが、僕は音楽の表面的なことしか聞けていないと思っています。今回も感受性の鈍さを自覚させられたわけです。

モーツァルトの「哀しみ」もわかりません。「闇」もわかりません。それがわかる方々と感受性に質的な違いがあるんだろうなと思っています。

そういう深く鋭い感受性を身につける方法は?

学校の数学みたいにきちっとカリキュラムが組んであって、時間がかかっても一段一段登って行けばできるるようになっていく、そういうものではないと思っています。
でも僕が知らないだけで、いい方法があるかもしれません。

個人で音楽を楽しむには、どのレベルの感受性であろうと構わないと思います。
音楽が好きで、聞いて楽しむ。そこに満足と喜びがあればそれでいい。それ以上でもそれ以下でもないとシンプルに考えています。
だから、「別にいいんじゃない」と開き直り、乱聴ではあるがいろいろ聞いていけば、ある時「哀しみ」や「闇」を感じ取るようになるかもしれないと楽観的に構えています。
(感受性にレベルの高い低いがあるという言い方にやや違和感があります。技術やスポーツでのランキングと違うわけですから・・・、いい用語が思いつかないので仕方なく使っています)

けれども、吹奏楽団の指揮者という立場を考えれば、低いレベルではいけないだろうと思ったりもします。もっと深く音楽がわかり、感じ取ることができなければいけないと思うわけです。音楽的レベルの低い指揮者のもとで演奏しなければならないメンバーは不幸です。
(ちょっと過激だな・・・、でも正論だよな・・・)


さて、曲のほうですが
19番は久しぶりに聞きました。いい曲ですね!
やっぱりモーツァルトはいいなと思いました。

1楽章のアレグロに入っての第1主題は、アダージョとの対比がきいているのか、明るさが印象的です。
冒頭のアダージョはとってつけたような感じがします。(これは暴論ですね)

2楽章での演奏はくすんだ音色します。これがやや暗い、ややふさぎこんだような部分によくあっていると思いました。

3楽章も4楽章も気分いいですね!

このカルテットの特徴なのか、録音によるのかわかりませんが、ややくすんだような音がします。それが落ち着きある雰囲気を作っているような気もします。

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