8月24日の「夏の色」と10月18日の「秋空」を書いていて、頭の片隅には「水蒸気の風土」という言葉があった。
今日もさわやかな空だったが、少し離れた山に白い靄がかかっていて、「ああ、水蒸気だな」と思った。
さて、その「水蒸気の風土」という言葉
これを使い、画家の三岸節子が司馬遼太郎に悲しみをこめて語っている。
49歳で初めて渡欧し、翌年日本に帰国する際、
「帰りの船がだんだん日本に近づいていて、やがて沖縄の島々が見えましたとき、空が白っぽくなり、ガスが一面にたれこめて、ああ水蒸気の風土に帰ってきたのだ、としみじみ思いました」
彼女がヨーロッパの乾燥した空気と透明度の高い外光を全身で感じ、「ヨーロッパの空気は乾いているんです。物の輪郭も色彩も、日本で見るのとはちがいます。油彩はそういう光と空気のなかでうまれたのだということをしみじみと感じました」
また「オランダの田園を歩いていると、ゴッホの絵は、あれは写実だということがわかったんです」と語っている。
これを受けて司馬遼太郎は書いている。
「日本の山も島も、スポンジのようにたっぷり水気をふくみ、旺盛な樹叢が、根という網の袋でその水を抱きこんでいる、(途中略) 山や島は湯気だつように呼気してその上に雲をつくっているのである。ときに靄や霧が地を這う。
里も村も、おのれの形象や色彩を明晰にするよりも、むしろ陰翳でもってみずからを語ろうとする。日本史は、水の豊富さということを外しては成立しない。同時に、日本における感覚の歴史も、この島の世々が水蒸気につつまれて過ぎてきたということが決定的なものになっている」
『司馬遼太郎が考えたこと 10』より「水蒸気の風土」(P174~176)、「三岸節子展に寄せて」(P221~223)から引用し、独断と偏見で文をつなぎ合わせました。
三岸節子が語り、司馬遼太郎が書いたことを、ぜひとも紹介したくて、長くなりましたが引用しました。
2 件のコメント:
風土というのはけっこう大事なことじゃないかと思います。
わたしは岸田劉生が好きなんですが、有名な「切り通しの写生」なんかは水蒸気の多いところで描かれたって感じしますよ。ウィキペディアに絵が載っていました↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Kishida-ryusei000047.jpeg
ぱぐさん、コメント感謝です。
司馬遼太郎の本を読んでいると、教えられ又気づかされるものがあります。そのひとつが「風土」です。
岸田劉生の絵は図工の教科書にのっていた「麗子微笑」ぐらいしか知りませんでした。
「切り通しの写生」は初めてです。何かひきつけるものがありますね。
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