2009年2月6日金曜日

カエサルの2つのことば

人間ならば誰にでも、すべてが見えるわけではない。

多くの人は、自分が見たいと欲することしか見ていない


どれほど悪い結果に終わったことでも、それがはじめ

られた そもそもの動機は善意によるものであった


この2つは、ユリウス・カエサルが語ったことばです。

塩野七生さんの大作『ローマ人の物語』は全15巻からなっています。ようやく第4巻、第5巻の「ユリウス・カエサル」をようやく読み終えましたが、ここでカエサルのことばであると紹介されるまで、塩野さんの基本的な考え方であると思い込んでいました。

それほどまでによく引用されることばです。 僕が今まで読んだ5巻の支柱になっているのではないかと思えるほどで、要所要所に引用されています。

2 件のコメント:

rudolf2006 さんのコメント...

よんちゃんさま こんにちは

「人間は自分が望むものを見ている」という言葉、良く言われる言葉なのですが、カエサルの言葉だったんですね〜。19世紀には、客観的な認識ができると人間は思いこんでいたのですが、20世紀後半になってようやく「客観的」も主観的である、と言われるようになってきたと思うのですが、大昔にカエサルが言っていたのですね〜。

それに「何でも善意から始まる」という言葉もそうなんですね〜。善意から起こる戦争や紛争が多いですよね〜、こういうのが一番たちが悪いですよね〜。

塩野さんの本は読んだことがないのですよ。歴史は好きなので、その辺りの歴史書はある程度は読んでいるのですが〜。

ミ(`w´彡)

よんちゃん さんのコメント...

rudolf2006さん、こんにちは。

カエサルの2つのことばは重い言葉です。

>「客観的」も主観的である、と言われるようになってきた<
以前に聞いたことがあります。100%客観的というのはあり得ないとも。

塩野さんの著作では、現実を理解していたカエサルと、見たい現実だけ見ていた元老院の人たちの様子が描かれています。

善意から始まるというのは、政治にしろ争いごとその他にあてはまると思います。
>善意から起こる戦争や紛争が多いですよね〜、こういうのが一番たちが悪いですよね〜。<
たしかにそうですね。
そこがに人間の難しさや哀さを感じます。

塩野さんの著作は面白いですよ。イタリアものがほとんどですが、その中でローマものとルネサンスものの2つがメインです。興味のあるところからお読み下さい。
自称塩野七生宣伝マンでした(笑)