オシム監督はようやく意識が戻ったようである。
オシム語録からひとつ
「レーニンは『勉強して、勉強して、勉強しろ』と言った。
私は『走って、走って、走れ』と言っている」
これをもじって
「オシムは『走って、走って、走れ』と言った
僕は『歌って、歌って、歌おう』と言う」
オシム監督が「走れ」と言っているが、むやみやたらと走れと言っているはけではない。“考えて”走るのである。「走る」という言葉にいっぱいの意味を込められいる。(これについてはオシムに関する本を読んでください)
同じように「歌う」ことにも、いっぱい意味が込められると思う。
今のところ考えていることは以下のことだ。
・ 主旋律や対旋律などのメロディ部分を、表情豊かに演奏すること
・ 伴奏部分の表現力が曲に深みをあたえるので、ここだけでもひとつの音楽になるくらい豊かな雰囲気を作ること
・ 無造作に音を出さない。
小学校校歌などを編曲していて思うのが、どのパートのどの音にも作曲者や編曲者の意志がある。ここではこういう音という明確なイメージがあるはずだ。これをできうる限り表現すること。
・ 何よりも心をこめること。
とりあえず考えていることを列挙しました。これ以外に思うことがあれば後日追加します。
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2 件のコメント:
はいっ!歌いたいです!(^O^)
常々それを楽しみに演奏しています。
劇中歌などはその場面を説明いただくとイメージしやすいです。
脳裏にシーンを描きながら演奏すると、勝手に気分よくハマッてきます。
ソロでは楽器の特性からか、美しいバラードのフレーズが多いのですが、それとは全く違った“興に乗った”感じとか“オッチョコチョイな”フレーズとかにもやり甲斐を感じます。
私はまず楽譜をもらって楽器で音が拾えたらスキャットで声に出して歌ってみます。
ルルル・・・などシンプルな発音で歌ってみると、あまりの味気なさからどう表情をつけたらよいかが見えてきます。
そうやってつかんだ息づかいのまま楽器に吹き込んでいます。あくまで自己流です(^^;)あとは指揮者様の指示を待つのみ。
声に地声と裏声があるように楽器の音色にも地声・裏声がある気がします。
特に高音を“圧”に頼らず吹き分けられたら・・・と心がけています。気持ち、気持ちだけ。眉をピクッっと上げてみたりして(笑)
ジョビジョバさん、こんにちは。
いいですね、自ら歌おうとされているのがいいです。
もっともっと歌って下さい。
みんなが歌おうとすると音楽が生き生きしてくると思います。
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