先週金曜日TVで、エッシェンバッハ/パリ管弦楽団の演奏を放送していた。録画しておいたのもをやっと見ることができたので、遅ればせながら感想を少し。
一番印象に残ったのが「ボレロ」
演奏は勿論素晴らしいが、そのことではない。指揮棒を振らないのである。
「ボレロ」 (この曲ほど不思議な曲はないと思っているが、このことについてはいずれ取り上げるつもり)
曲が独特であるが故、これを指揮するときはいろいろな指揮の仕方があるようだ。
エッシェンバッハは意図して指揮棒を振らなかった。直立不動のままで目だけ動かしていた。
TV画面がほとんど奏者を映していて、指揮者の動きをほとんど捉えていないので細かいところはわからないが、指揮者がわずかに動くところだけを映していた。
その動きもほとんど目とその周辺だけが動く感じで、顔の表情や首の動きはほとんどなかった。
そして指揮棒を振ったのは、唯一転調するところから最後までの14小節のみ。
この曲は、最初から最後まで小太鼓がボレロのリズムを刻むからできることだと思う。
もし僕が同じようにやれと言われたら、どうなるだろう。
99%無理だと思う。理由は2つ、
・音楽に合わせて自然と腕と体が動いてしまう
・指揮台に立って、腕や体を動かさずに直立不動でいるのは、かなり緊張を強いられると思う。この緊張に耐えきれないんじゃないだろうか。
一方、奏者の方はどのように感じているのだろう。
音楽ブログランキングへ
8 件のコメント:
こんにちは。
中学生の時にバレンボイム/パリ管の「ボレロ」をTVで観ましたが、指揮棒を振りませんました。パリ管の伝統でしょうか?
それ以上に目で指揮した演奏で実際に聴いて凄かったのがゲルギエフ/マリンスキー劇場管の来日公演のアンコール「ルスランとリュドミラ」序曲。
最後まで指揮棒なしで演奏。ゲルギエフは開始と最後以外はずっと観客席に向かって腕組み。これには唖然でした。
初めて書き込みます。
某吹奏楽団のmakoto@Tpです。
アンサンブルやジャズなど指揮を振らない音楽は他にもあるとは思いますが、奏者の人数が多い管弦楽で指揮のない音楽を演奏されているということを知りビックリしています。
実際、演奏会本番での指揮者の役割がテンポキープと音楽の抑揚の微調節だとした場合、それらを各奏者が自分達で行っているということになると思います。
演奏する音楽に対する練習量と各自の演奏技術が必要だとは思いますが、各奏者に音楽を完成させるという使命感が無ければできないことだと思います。
ボクも見習わないと…。
もちろん指揮者の緊張感は尋常ではないと思いますよ♪
私も見てました!!
ホンマに素晴らしかったですね(pq´v`)
表情だけでも十分で、見てるこっちがやたら緊張しました(笑)
最後の終わりの音はなんともいえない響きですごい思わず拍手でした♪
でも直立したままでよく大丈夫ですよね…
最初の方はまだ大丈夫かもしれないけど、だんだん盛り上がってくると指揮をしたい衝動にかられるハズ…(笑)
たっくんさん、コメント感謝です。
バレンボイムは振らなかったんですか!
ゲルギエフの今年の来日公演の話ですか。
「観客席に向かって腕組み」は驚きです!
そんなのってあり?と思ってしまいます。
あの容貌で見られる観客は、どんな感じで音楽を聞いていたのでしょうか。
makoto@Tpさん、ようこそおいで下さいました。
今後ともよろしくお願いします。
「各奏者に音楽を完成させるという使命感」
奏者側の感覚として、そういうものがあるんですね。どうしても指揮者側の感覚でのみ考えてしまう悪い癖があります。反省。
ひとみさん、こんにちは。
エッシェンバッハのように指揮されたら、奏者も緊張するんでしょうか?
なんかの曲で試してみたりして(笑)
今夜のN響アワーは、トロンボーン特集だね。
このお話を聞き、そういう指揮を見たことがないので驚きました。
「さあみんな、私に素晴しい演奏を聴かせておくれ。私を酔わせておくれ。」
と、指揮者自らが一番の聴衆になろうとなさってるのかしら・・・。
奏者からその指揮者に送られる最高の演奏は、観客にとっても最高の演奏になる。ってことなのかな…?
いや、違うかな…?わかんないや。
指揮者は奏者を操る人だと思っていた私には不思議~。
その指揮者の指示さえも見逃してしまう私ですのに…(^^;)
ジョビジョバさん、こんにちは。
指揮者は「目で」奏者を操っているのかもしれませんね。
僕にはとてもできそうにないことです。
コメントを投稿