2008年5月5日月曜日

東山魁夷

昨夜のTVに、東山魁夷生誕100年を記念した番組が放映されていた。

かなり前のことであるが、一度だけ「東山魁夷展」を見に行ったことがある。
奈良の唐招提寺御影堂障壁画完成後で、これが展示されていたと思う。

その時に印象をおぼろげながらにもたどると、「幽玄」という言葉が思い出されてきた。
圧倒的な迫力で見る者に迫るのでもなく、釘づけにして引き込むのでもない。ほどよい距離感を保ちながら、見る者の心にしみわたってくる絵だったように思う。

東山魁夷の絵を見ていると、まさに日本人で日本の風土を描いた画家だと思う。
それは昨年10月23日の拙ブログ「水蒸気の風土」に引用した司馬遼太郎の文が、僕の頭の中にあるからだ。

以下10月23日の文より引用
『 これを受けて司馬遼太郎は書いている。「日本の山も島も、スポンジのようにたっぷり水気をふくみ、旺盛な樹叢が、根という網の袋でその水を抱きこんでいる、(途中略) 山や島は湯気だつように呼気してその上に雲をつくっているのである。ときに靄や霧が地を這う。里も村も、おのれの形象や色彩を明晰にするよりも、むしろ陰翳でもってみずからを語ろうとする。日本史は、水の豊富さということを外しては成立しない。同時に、日本における感覚の歴史も、この島の世々が水蒸気につつまれて過ぎてきたということが決定的なものになっている」『司馬遼太郎が考えたこと 10』より「水蒸気の風土」(P174~176)、「三岸節子展に寄せて」(P221~223)から引用し、独断と偏見で文をつなぎ合わせました。』

空気の乾いた風土では生まれなかった絵だと思うのです。

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