2007年9月13日木曜日

リクディム

昨日からの続き

リクディムは、英語で Rikudim と書く。Rikud がヘブライ語で「踊り」を意味し、im は複数を表わすようだ。
無理やり日本語にすると、「複数の踊り」「踊り(複数形)」「いくつかある舞曲」・・・ 下手な日本語だな・・・

<ここで素朴な疑問>
舞曲ということは踊りの音楽ではないか。たとえばワルツ、スケルツォ、メヌエット、ボレロ、ポロネーズといった3拍子や、ガヴォット、タンゴ、ポルカといった2拍子、4拍子のように踊りやすい拍子がある。
ところがリクディムの2曲目、3曲目のように変拍子では踊りにくいではないか。なぜ変拍子を採用したのか?

イスラエル民族の踊りの中に、変拍子の踊りがあるのだろうか。
(ネットでイスラエル音楽とか舞曲とかで検索をかけてみるが、こちらが期待するような記事を探し出せない。)


ひとつの考え方として、ヴァン・デル・ローストは舞曲という形式を用いただけで、実際踊ることは念頭に置いていないのではないか。
理由1:ハイドン以降に書かれた交響曲には、メヌエットなりスケルツォの楽章があるが、実際に踊ることは考えていなかっただろうと聞いていて思うから。

理由2:この曲は、あくまで吹奏楽のステージでの演奏用に書かれた作品であると思われるから。(あくまでも推測)


逆に、変拍子だからいいのではないかと思うことがある。
3曲目の冒頭は、8分の7拍子が9小節あり、これが繰り返される。
1回目がクラリネットのきれいな和音で、2回目はトランペットとトロンボーンのハーモニーだ。
もしここが4分の4拍子だったら、平凡な感じになってつまらなくなると思う。8分の7でしかも8小節でなく9小節だからいい、不規則だからこそメロディーが生きてくるような気がする。


変拍子のことを書いていたら、ストラヴィンスキーの「春の祭典」について書きたくなった。
“しばしの間”お付き合いをといきたいところだが、仕事しないといけないので、次回に。

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1 件のコメント:

がちゃぴん さんのコメント...

私も丁度同じこと考えてました。
なぜ、踊りにくい変拍子・・・??

あっちの踊りは、なにやらくねくね官能的な踊りをついついイメージしてしまうのですが・・・(^皿^)

たとえば踊りなんだったら、音楽に乗ってしまったらそれなりに聞こえるんだろうか?

たとえば、むしろその不安定な感じをわざと出したいのかな?(イスラエルの情勢・・・?実は社会問題の曲なのか!?なんて)

美しい感じ、激しい感じ、アラブ独特の旋律、哀愁の感じ、付点の音符なのにどこか曇った感じ、同じ楽器内でもパートで全く違う旋律を奏でる感じ、それが変拍子で繰り広げられていて、きっと譜面以上に音楽が動いて聴こえるのかな、と思います。
踊っているのは、音楽自体なのかもしれないですね。
そして、私たちはまんまと踊らされておりますが・・・

今度の木曜日は、最後。
変拍子は確かに難しいのかもしれないけれど、よんちゃんさんについていきます☆