2008年4月4日金曜日

修羅場

「男はどれくらい修羅場をくぐってきたかよ」

以前勤めていた職場の上司(女性)の言葉である。

どんな会話の流れの中から出てきたかはすっかり忘れてしまっているが、この言葉だけは覚えている。そしてこの言葉を言った時の、声の調子と顔の表情もだいたい覚えている。

なぜこれをここに書いたかというと、河井継之助が表舞台に登場する前に修羅場をくぐってきた様子が見えないのだ。といっても司馬遼太郎の「峠」、「英雄児」しか読んでないのだけれども・・・

継之助が藩主の目にとまり、異例の抜擢をうけ、超スピートの出世で長岡藩(新潟県長岡市)の筆頭家老になる。(河井家本来の家格からいうとあり得ないほどの出世である)

役職に就いてからの仕事ぶりをみると、頭を抱えて困ってしまう場面、足の震えが止まらないような場面でも動じることがない。腹が据わっているのである。そして見事に切り抜けていく。

一般的にいうと、相当の役職につくまでに、様々な場面に直面し、うまく切り抜けることもあれば、立ち往生をし失敗もする。しかし、試練や困難を克服して、実力をつけ、人間を作り上げていく。
それが管理職的立場や組織のトップに立った時、それまでの経験が生かされるのであ。

歴史上名を残した人物は、大小様々な試練や困難、修羅場をくぐってきているわけだ。

そういった痕跡が司馬作品を読んだだけでは感じられないのだ。
河井継之助は30歳を過ぎても書生生活をしていて、一気に表舞台に出て、見事に活躍している。どんな状況でも、腹が据わっている。動じないのが凄い!
今でいうなら、30過ぎまで大学や大学院その他で勉強していた者が、いきなり大会社の課長に抜擢され、アッというまで社長までなり、世間がびっくりするような業績をあげるのである。

河井継之助の人生は僕の理解を超えているのだ。


さて、冒頭にあげた上司の言葉は
人生大小様々な試練がある。修羅場もある。
(僕のイメージでは、試練や困難より修羅場の方が困難度が高い。にっちもさっちもいかない、行くも地獄帰るも地獄という状態だ。解決策が全く見つからず崖っぷちにいる状態ともいえる。)

そこを逃げてはいけない。どうしようもない困難を克服し、突破しなければならない。
そうすることが男の価値を決める。また、その人間を作り上げると解釈している。

これを僕にあてはめると ・ ・ ・
アハハハハー ・ ・ ・ と誤魔化しておきましょう。

0 件のコメント: