2008年8月30日土曜日

宮崎アニメ

今は梅雨なのか?
そう思わせる天気が続いていますね。

明日は高校OBのみで、母校の創立〇十年記念音楽会(たしかこんな名称だったな・・・)の練習をします。曲は先日の定演でやった曲と同じものをします。

そのうちの1曲が「もののけ姫メドレー」です。
ジブリ作品は、僕がかかわっている範囲内では、毎年定演で取り上げています。スタジオ・ジブリにはいつもお世話になっていますという感じですね。作曲者のことをいうと宮崎駿様ではなく 久石譲様になりますが。でも宮崎監督がいなければ、久石さんの曲もないわけで、まあ共同作品といっていいかもしれません。

先日本屋さんで「宮崎アニメの暗号」(青井汎著、新潮新書)に目がとまり購入しました。
7月25日の「トトロ都市伝説」に書いた内容に少し関連しますが、宮崎アニメの奥深さって何だろうと考えることがありました。
僕が見る映画(アニメーション映画を含む)には1回きりで十分なものと、何度でも見たいものがあります。感動したから、素晴らしいから、または気に入ったから何回も見たいのだと思います。
宮崎作品は何度でも見たい映画に入りますが、そればっかりの理由でもないのです。見たあと「僕はこの映画がわかっていない、内容が把握できていない、あらすじが頭に入らない・・・」と何かしら釈然としないものがあって見直しをします。何回か見るのですが、もやもやは消えません。
これは宮崎作品はを否定して言っている言葉ではありません。大好きだし、素直に感動もするんだけど、 ・ ・ ・ 何なんだろう ・ ・ ・ というひっかかりがあるのです。
そういうことがあるから「都市伝説」には、さもありなんと思うし、「宮崎アニメの暗号」にも興味をひかれるわけです。

この本の序章だけ読んであえて止めています。
初めて聞く音楽は、なるべく予備知識なしでと同じ考えです。この本を読んだ色眼鏡で映画を見たくないからです。映画を見た後に読もうと思っています。

序章から印象に残った言葉を引用します。P12より

『宮崎駿は、自作と他の多くのエンターテイメント作品との違いをこう考えています。

「(前略)通俗作品は、軽薄であっても真情あふれていなければならないと思う。入口は低く広くて、誰でも招き入れるが、出口は高く浄化されていなければならない。貧乏ゆすりの肩代わりや、低列をそのまま認めたり、力説したり、増幅するものであってはならない。ぼくはディズニーの作品がキライだ。入口と出口が同じ低さと広さで並んでいる。ぼくには観客蔑視としか思えないのである。」   』

さあ、本書は宮崎作品の奥深さの一端を読み解いてくれそうです。
まずは「もののけ姫」を見て、該当ページを読みましょうか。

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